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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

第36回社会福祉士試験と、ここ数年の合格率の考察

第36回社会福祉士の合格点90点、合格率58%とかで昨年度を更に上回り過去最高の合格率と言うが・・


ここ数年、特に2年前の合格点:105点/それでも合格者率31.1%の第34回と何が違うか?問題の難易度が違うのか?と言う事について、個人的に難易度の変化があったとはあまり思わない。

なぜなら自分自身、社会福祉士の過去問を第27回から、殆ど受験学習無しで行ってみたところ、ほぼ58~66%の正答率だったから。心理学基礎・心理学統計・組織学・社会学介護保険・権利擁護・生活保護・困窮・公的保険・福祉系医療の知識はもともと少し有、家で過去問解くだけ、試験会場でのプレッシャーも無いから、初回過去問で58~66%の正答率だったのかもしれないが・・(0点科目は考慮せず)

・第30回合格者率30.2%の過去問試験で正答率66%(99点)の正答率 (合格点99点なので、この年受験すれば、一発合格できた可能性有)
・第34回合格点105点:合格者率31.1%の過去問では、63%(94点)の正答率
・第35回合格点90点:合格者率44.2%の過去問では、56%(84点)の正答率

 

2025年度から新カリキュラム導入で試験内容が変更になると脅かされ、第34~36回の受験者は頑張って受験勉強した者が多く、おそらく、第35回・36回も上位30%台の合格点に合わせると、平均点が100点以上となり、

第34回社会福祉士、合格者率31.1%:合格点105点のような事をすると、試験に対し70%の正答率となり後から苦情が来るような合格点にならぬよう、昨年と今年度は、厚労省社会福祉士国家試験の在り方に関する検討会の通り、上位30%台の合格点にすると試験に対し70%近い正答率となる100点以上が合格点になる事を避け、試験に対し60%の正答率:90点を基本とし、毎年の試験難易度によって調整されたのだと思う。

合格率というものは、とても曲者に感じる。

なぜなら、ケアマネジャーの合格率10~20%らしいが、ケアマネジャーが難関試験かと言うと全くそう思わない、ケアマネジャーは、数回受験してやっと受かったと言う人が殆ど。一発合格者は少ない。

社会福祉士も数回受験してやっと受かったと言う人がいるが、社会福祉士の場合、科目履修が必須で有り、第36回迄は、18科目中(就労支援と更生保護は2つで1つと見て)、0点を取ってしまったら、総得点が130点あっても、不合格になる、ケアマネジャーより、出題範囲は広く難易度の高い試験なので、ケアマネジャーの合格率10~20%だから、社会福祉士よりも難しいと言うのは、全くの勘違いであると個人的には思う。

https://fukufuku21.blogspot.com/2024/03/36.html

口の悪い人は・・・
しかし,そんなことを言うのは既に社会福祉士の人だけです。
足の引っ張り合いは本気でやめてほしいと思います。切にそう願うばかりです。

 

社会福祉士国試 学習部屋の今回の合格率について記事があるように、「足の引っ張り合いは本気でやめてほしいと思います。切にそう願うばかりです」と。
私も本気で思います。


ソーシャルワークと相談援助の親類のようなケ〇マ〇ジ〇ー界隈では、何度も受験しやっとケ〇マ〇ジ〇ー合格した「社会福祉士を目指さない」人達が、合格率低い年度にケ〇マ〇ジ〇ー合格したと時折自慢する。 能力低いから、足の引っ張り合いをする事で優越浸るを、常に感じる業界だからです。


一発合格者はどれだけいるか、ケ〇マ〇ジ〇ー研修の時に講師が会場で聞いてきて、一発合格者挙手してくださいと手を上げさせられたが、数百人以上いる会場では、本当に数えるくらいだった。

 

何度も受験しての合格率10~20%未満の合格率は、レベル高いとは言えないのでは?と個人的に思う。合格率だけで判断するのはどうか?と思う。

 

むしろ、第34、35、36回は、90点以上が半数近くいるからこそ、上位30%に合わせると、100点以上が合格点になってしまう。なので、厚労省社会福祉士国家試験の在り方に関する検討会の通り、60%の正答率:90点を基本とした合格点にしたら、結果合格率が上がったとみる考え方もあると思う。

 

ムカムカの上野様、能力の高い人が、弱者を自立支援へ繋げやすくするために

以前、成田悠輔評「タコになりたい」 フェミニズムズ/FEMINISMS展の記事を読んで、女性を男性の性欲対象としてあまり見ない、人間の男と女を「ヒトという生物のメス・オスとして観察」している性欲低い成田さんらしい評だと、私は思った。

https://artnewsjapan.com/story/article/4

 

「ムカムカする寄稿:上野千鶴子社会学者) ~クロスレビューフェミニズムズ/FEMINISMS展」成田悠輔氏・鹿島茂氏評を受けて」と言われる上野千鶴子さん

https://artnewsjapan.com/article/39

私は上野千鶴子さんが好きで、成田悠輔支持でもあるので、特に成田氏についての記事に興味を持ったが、上野さんは、過去のインタビュー(https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2009_01/p18-21.pdf)で

 

・敵は外にも内にもある

男女雇用機会均等法一つとってみても,支持するひとと,いや女性の労働強化になるだけだと反対するひとがいます。生殖医療の合法化をめぐっても,産みたい女性の権利を拡大すると賛成するひともいますし,女性に出産圧力が強まるだけだと反対するひともいます。答えは単純ではありません。

 

とあるように、様々な価値観・意見による、敵は外にも内にもあると言っている。

嫁対姑、婿対舅のように、敵は外にも内にもあり、それぞれの立場で、価値観・意見が食い違う。同じ性別でも敵になる。

高齢化社会というものは,誰もが将来にわたって多少なりとも中途障害者になる社会」です。女性差別が平気な男性がいるのは,その男性が女になる,つまり被差別者になる可能性がないからです。障害者差別も,自分が障害者になる可能性がほとんどないと思っているからできるのです。でも,高齢者差別に関していえば,差別をしていた自分自身が,差別をした対象(高齢者)になっていくのですから,自己差別からくる自己否定感が最大の問題となります。

 

↑上野さんが言われるように「自己差別からくる自己否定感が最大の問題」で、この方たちの多くは、自分の病気や介護状態を受け入れませんね・・その為、家族や医師、医療関係者も困惑しながらの対応となり、すったもんだありながらも、早くに他界される方もおり、その場合ご本人的にはピンピンコロリで本望となるケースも少なくない気がします。

 

私の出発点はもちろん女性学ですが,「違っていても差別を受けない権利」という考え方を進めていくと,いわゆる「社会的弱者」と言われる人々と問題が同じであることに気付きました。社会的弱者といっても,高齢者,障害者,患者,不登校精神障害者等,多様性がありますが,この10 年間ほど,そういう問題意識で研究をしていると,多様性に富む中に存在する共通点がうまく言語化できるようになってきました。

 

↑上野さんは、能力高い人なので、「社会的弱者」と言われる人々と問題が同じであることに気付くのが、意外にも遅かったのですね・・・

 

https://telling.asahi.com/article/15006345

本当に、もう十年一日、女って変わらないなと思いますね。半世紀前のリブ(ウーマンリブ)とフェミニズムは、「男の承認に依存するな」って言ってきたんですよ。「男に選ばれないから悲しい」とか、「彼から連絡が来なくて自分がないがしろにされているのがつらい」とか、そんなやつこっちから捨ててやったらいいじゃないですか。私たちは、「自分の値打ちぐらい自分で作れ、バカ者よ」って言ってきたんです。男に値打ちを与えてもらうなって。

 

上野さんのような能力高い人が、弱者の立場を考えてくれるのはとても嬉しい。

と同時に、このご意見を読むと、能力高い人だからこそ言える言葉だと感じる。

私は、上野さんの言われるおひとり様の女性、要支援・要介護状態の高齢者のおひとり様女性だけでなく、いわゆる8050、9060問題に近いような、未婚娘が、高齢の親の金頼りに依存しながら暮らしている現状にも何度も出くわしている。

人に依存しないと生きていけない弱者である人達。この人達をいかに自立した生活が出来るように支援できるか・・

今の子供・若者達も、将来8050、9060問題に近い生活、高齢の親の金を頼りに依存続けて暮らすのではなく、いかに自立した生活が出来るように支援できるか・・

ソーシャルワークとして何が出来るか考えます・・・ 

コンフリクトマネジメントとADHD気質

自分は、マイルドな反抗・挑戦性の気質、持ってたと今頃気づく

 

よく考えてみたら、わりに反抗心と挑戦性を持っている人間だったと最近になってようやく気が付いた

本質を追求したくなる自分は、上司の矛盾・理不尽の多い言動を受け入れるのが難しい・・・。他の同僚が、上司の矛盾・理不尽の多い言動をそれなりに、受入れ我慢をしているのを見て、自分は、他の同僚のような忍耐強さが足りないのかと思えてきた。

思えば学生時代、友達と一緒にバイトしても、自分は先に嫌になり辞めてしまい、友達はそのバイトを続けていると言う事もけっこうあった。

 

ただ、どうしても本質を純粋に追求したがるADHD気質、裸の王様に、「裸だよ」と言いたくなる。

本質を追求したいADHDは、「世の中はなぜ、本質・内容ではなく、表面的・体面的な事を大事にしたがる人が多いのか?」と思う

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矛盾・理不尽の多い言動を感じると、それらに対し、自分の中の反抗心が出てきて他の同僚のような従順な態度をする振りすら難しいようで、どこか反抗心を滲ませた態度を取ってしまうようで・・・

矛盾・理不尽が納得いかないので、自分なりに様々な知識・情報を仕入れそれらを取り入れた思考で動く事が、上司の言う通りに動かない反抗・挑戦的な部下となる・・・

コンフリクトを招きやすいADHD気質

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コンフリクトマネジメントが上手く機能しない組織

コンフリクトは、論争・争い・衝突・対立などを意味する言葉、意見の衝突による緊張状態にあることもコンフリクトとも言う。悪い意味ばかりでなく、 異なる意見や要求などを交換することで、組織が変化し成長するきかっけともなるが・・、

同調圧力強い職場なので、成長はなくほぼ変わらない思考の上司

↓コンフリクトマネジメントの例
https://schoo.jp/biz/column/500

本質追求する観察眼と新しい事を知る事が喜びのADHDと、膨大な知識量のASD

二十数年前、息子の発達の遅れから、かろうじてADHDの本を見つけ、中枢性言語障害をネット検索し、アメリカのLDサイトで知る。日本で、ADHDを診断できる医師は少なかった時代に、早期発見療育をしてきた。

当時、色んな相談機関に行く度に、「自分の子は、ADHDという障害があると言いに来る母親」「本来母親は、自分の子に障害レッテルを貼りたがらないのに、なぜADHDというラベリングをしたがるのか?」と、ADHDに無知でバイステックの7原則と全く反対な言動をする相談担当者達は、母親の私を審判的態度で、否定的な審判を下してきた、

ADHDは、遺伝性が強いと言うことらしいが、私自身は、ADHDの素質があるとあまり思っておらず、息子は私の父の隔世遺伝かもと思ってたが、私もしっかりその素質持っていたと最近思う

息子の発達遅れについて、母として多少落ち込みはあったが、それよりも「なぜ・なぜ・なぜ」の繰り返し。なぜそうなのか?の理解をするために、色々と調べたりした。

走るのは早いのに、ボールを使った運動は苦手、多動が強いのはなぜ?から感覚統合を知ったり、なぜを理解するのに、理屈や根拠的なものが無いと、納得出来なかった。
今では、感覚統合もネット検索すれば、すぐに出て来るけど、当時はネットでも情報はなかなか拾えず、専門書をよく購入していた。

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一般的に人と対面した時、印象良い表情や声色を使っているかで、好ましいか好ましくないか判断すると思うが、ADHDは、印象良い表情や声色という表面ではなく、相手が何を語ってるか、その言葉の内容や言動の矛盾が無いかを重要視している気がする。

相手が、印象良い表情や声色をしても、矛盾ある言動をしたら、好ましくないと判断するのが、ADHDだと思う

言動に矛盾無いかを重要視するADHD達は、人からどう思われるかという、服選びを基準におかない。表面的な事はどうでもよく、自分の感性を満足させてくれる服を好む。

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ADHDは、一般的な多数派の視点と違うから、一般的な視点から見ると、ADHD達は、人への接し方も良く思われようとする取り繕う言動をしない事もあるので、変わっている人に見えるかもしれない。

本質を追求したいADHDは、「世の中はなぜ、本質・内容ではなく、表面的・体面的な事を大事にしたがる人が多いのか?」と思う

裸の王様に「裸だ」と言えるのがADHD

ADHDは、本質を追求し何か新しい事を見つけた時が嬉しく、本質や新しい事を見つけるために、常に観察する眼で見ている気がする。

本質は、事実と根拠とある種の公平性がある。表面的・体面的な事は、常に何かしらの本質・事実を隠し、その隠蔽さが偏った思考を生み出している気がする。

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人の欠点を見つけて人を落とす事で、自分のレベルを必死に保ち、自分が上で居る事で、悦になったり満足する人達を、ADHDからしてみると下らないし、そんな事でしか自分を満足させられないつまらない人達なんだと思う。


そう思うと世の中は、本質を追求し新しい事を発見する事に喜びを覚える優秀なADHD気質に、膨大なデータ知識量を持ったASD気質の両方を兼ね備えた優秀な人によって、進化してきていると思わざるおえない。

グループラインの既読スルー(無視)は、傍観者効果と同調圧力

グループラインの既読スルーは、よく問題になっていると言うが、傍観者効果と同調圧力で説明できるような行為なので、トラブルに発展しやすいのは理解できる

傍観者効果 - Wikipedia

傍観者効果:社会心理学の用語、集団心理の一つ。 ある事件に対して、自分以外に傍観者がいる時に率先して行動を起こさなくなる心理である。 傍観者が多いほど、その効果は強力なものになる。

グループラインの傍観者効果としての既読スルーは、誰かが返信してくれてるから自分はしなくて良いだろうと考え

→結果、誰も返信しない事がある

 

同調圧力 - Wikipedia

同調圧力:地域共同体や職場などある特定の同等集団において意思決定、合意形成を行う際に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に合わせるように誘導することを指す

グループラインの同調圧力としての既読スルーは、グループに影響を与えるキーパンソンやリーダーが毎回、ある人にだけ既読スルーすると、意思決定、合意を行う際に、暗黙のうちにグループに影響を与えるキーパンソンやリーダーに、多数が意見を合わせるようになりその多数派の同調圧力の行為として

→結果、誰も返信しなくなる。

 

グループラインの既読スルー、忙しいから返事しないのは、言い訳。

既読スルーが当たり前になるコミニュケーションは、コミニュケーションの欠如状態

 

対面で目の前の人が話をしているのを聞いて、何も返事しない、無視をするなんて事を、対面であればしない事を、ラインでは平気で既読スルー(無視)が行える。

ラインで既読スルー(無視)を何度も続けていると、現実でもそのようなコミニュケーションを取るようになる。

忙しいなら、未読なはず。話を読んでおいて既読スルー(無視)行為は、コミニュケーションの欠如状態。

 

それでも、既読スルー(無視)を気にしないという解釈に、大丈夫か?この集団心理は・・・と思う。

 

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グループラインが流行り始めた頃、仲良いグループの子がグループラインはトラブルになるから絶対やらないと言い、グループラインを作ってないが大正解だったと思う。