自己愛人格障害 鬱 脳 科学 パーソナリティ ADHD LD アスペルガー 発達障害

独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

子供自身の治癒力(ADHDの多動)と、洞察力

うちの子は、幼児期はとにかく、走り回って、動き回ってました・・・いわゆる動き回ることで、有酸素運動をし、自分の脳を自分で治癒していたんじゃないか・・と今に思う・・・

今の脳科学では、走る等の有酸素運動は、前頭葉や海馬の機能がよくなる、大きくなると言われている・・・
だから、動き回る多動児を、抑え付ける療育なんて、おかしい。と思う。
当時の私は、プール遊び、迷子になりにくい公園を探して、そこで思いっきり走らせ、たくさんの五感が使える外遊びをさせてきた。


でも当時は、抑え付ける療育が主流だった。納得いかない態度でいる親の私に対し、抑え付ける療育がよいと思っている専門の方々は、私を悪い親、無理解な親として評価されていたと思う。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

内面重視(上っ面や表面的な事で判断しない)、理論的(矛盾を嫌う)、などの自分の判断基準が、多くの情報や人の意見から、良い選択が出来ていたんだと思う。


あの当時、納得いかないことを言う専門家の方たち(上っ面、表面的な事しか、見れない、考えれない、受け入れない人達)にたくさん出会って来て、内面重視、理論的、矛盾を嫌う、私は、納得出来る先生に出会えるまで、動いた。 別に専門家やドクターショッピングをしてた訳じゃないし、したくもないけど、上っ面、表面的な事しか見れない人達)が多すぎた。。。


あれから、20年も経ち、今は私自身も納得出来る考えが増え、それらが主流になってきて、良かったとおもう。20年も経った今でも、当時のままであれば、子どもも親も、悪循環にさらされ続け、あまりにも可哀想過ぎる・・・


あの頃は、ほんと散々なこと、今では明らかに間違っている視点で、とーーても偉そうに言われたな〜(特にベテランと称する専門家にそういうのが多かった)


今50代の自分が社会で働いてつくづく感じたのは、ポンポンと反射的に、口が達者な人、人の揚げ足ばかり取る人ほど、その仕事に対してのスキルは低い。


口が達者だと、仲間を作ったり、ちょっとしたコミニュケーションなら上手いでしょうが、責任を取るような事に関わる事は、とても軽薄すぎて、責任取れない人が多い。


軽々しく、偉そうに言う専門家ほど、相手に与える影響に対して、無責任である。


職場でも、そんな無責任で低いスキルの同僚がかなりの人数でいる。
日々、その無責任な行動のツケを誰かが、背負わされてる。 無責任な人は、相手にその責任を背負わせても、知らんぷり。


頭をどのように使うかによって、スキルが上がるのだと思う。反射的に対応する事だけが、頭が良いとは言えない。ましてや、人の揚げ足ばかり取り、人の能力を下げる事に力を入れてしまう人ほど、本当に見事に、スキルが低い 


思うことは、事実を、自己満足で解釈しないのが一番良いと思う。 自己満足で解釈したがるのは、自己愛が邪魔してる。 


客観的に、事実を理解しなければ、たぶん、いつまでも、前へは、進めないだろうと思う。


驕りになる言い方だけど、上っ面、表面的な話と、重要な話の選別が出来ない。 何が大事か見つけられない人が多いとよく感じる・・・。 何が大事か見つけられないのは、自己愛が邪魔し、自分の気持ちを、辛くしたくないからだ。 事実を理解し、受け入れる事は、時として、苦しい・・・・。でも「嫌な事柄に目を背けてたら、大事な事まで見失う」こともある・・・。


自分は、老後のために、子どもに迷惑掛からないように、必死で働いている。 自己愛が強く、辛い事を避けるタイプの人間なら、きっと老後も楽天的に捉え、それほど大事には考えないだろう。。。


いつも先を考えて生きてる。
不安症という日本人に多い気質が、未来を心配し、先を考えさせるのだと思う。

自分にも多少の自己愛?というかこだわり?というのか、家族を迷惑かけないという、自分なりの責任感を大事にしたい気持ち・・自分のこだわりと言ったら、責任感??常に意識しているところ・・・。
責任感があるだろう??、偉いだろう??と、どこかで思ってるのが、自分の自己愛なのかもしれない・・


自分は、死ぬまで、子どもの為に、生きる、それが幸せ。
自己愛パーソナリティのように、自分以外の人に、無責任で搾取する、自分さえよければ良いという考えは、正直嫌悪でいっぱい。 


自分の一番大切にしている人の為に生きれて、自分は幸せ。


自分のことしか考えられない、自己愛パーソナリティは、人間としての多くのスキルが低い。だから、自分以外の人の為に生きる事に、幸せを感じられない。


ーーーーーーーーーーーーー



子どもも、とうとう成人を越え、社会人で何とか働いています・・・。でも、この世の中、何があるかわかりません。。。私もとうとう50代、健康に気をつけながら、働ける体力のあるうちに、頑張って働いています。

子どもも頑張ってます。親の私も頑張って働いてます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(追記)

思い出すのが、ADHD/LD Breaktime は、悔しくて、当時MTで作ったサイト。 学校や職場で無い、素人の人間関係って、いわゆる、お友達感覚ですから、実力が無くても、仲良ければ、実力ある人に、幾らでもしたてられるのね。でも普通のお金貰う社会では、実力が無いのは通用しません。


中心人物をコミニュケーション上において、適度に押さえておけば、中心人物から大事にされる。仲良しの延長上の上での評価なので、実力なくても、実力ある人にして貰える。

私は、知識や情報、努力で何かを身に付けてる。 コミニュケーションで仲良しを作り、そこでおいしい評価をして貰ったこと殆ど無いわ。

学生の頃は、友達は普通にいたので、コミニュケーションが取れない訳ではないし、友達も学校の人気者だったり、頭の良い子もいたし、不良もいたし、いろんな子と仲良く出来たけど・・。


福祉の仕事で、自閉の方や、認知症の方の不穏、急変、看取りから息を引き取るまでの状況判断まで、それなりに察知でき、対応出来るので、洞察力がけっこうある方かな・・とは思う・・・。息子の早期発見も、洞察力のおかげだと思う・・ 

そのせいか「この人、なんか矛盾してる・・・」と感じると、私の方がちょっと嫌な感じな態度をどこか取ってしまう部分もある。

洞察力ありすぎると、可愛気ない。。。
この可愛気なくなる、洞察力でも、上記のように、自閉の方や、認知症の方の不穏、急変、看取りから息を引き取るまでの状況判断まで、気付いて貰えない人の役には何とか立っているのかもしれない。




ーーーーーーーーーーーーー