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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

自分の存在と、認められるということ

モラルハラスメント関連の本は読んでいたが、個人の方が運営してるモラルハラスメントサイトの掲示板などはあまり見たことなかったので、色んな人の状況が読める掲示板を幾つか読んでみた。幾つかのモラルハラスメント被害者やAC(アダルトチルドレン)の書き込みを読んだりしたが、何でもかんでも、何かの人格障害や、軽度発達障害に当てはめたくは無いけど、でも、どうも似てる。似てるの。

(※人格障害については、下の方に簡易説明を入れた)


・人を選ぶ基準がどこか変わってる・・。
 又は関わると大変そうな人をあえて選んでる。なので困った人間関係に陥りやすい。
・解決につながる情報をうまく集めて選択できない。
・自分を客観的に観て考えるのが苦手。
・極端・極論な思考、ファジィな考え方、中立的な考えが苦手。例えば、白・黒思考、勝ち負け思考、権威主義が割りに多い。


うーーん。
モラルハラスメント被害者やAC(アダルトチルドレン)も、心が踏まれ、それなりに心が壊れかけてるから、対人関係の認知もうまくいってない場合も多いし、客観的に物事を観るのも、変な刷り込みをしてきた事でうまく客観視出来なくて大変なんだ・・。

だから、AAの12ステップやACの12ステップのように、公平に話せて、批判や批評、アドバイスも一切しない関係が出来る自助グループからスタートするのが一番だとも思うのだが・・。


・・・・

私は、ある発達障害の会に入ったとき、「この会で、自分のセルフエスティームを上げようね。頑張ろうね」とある方から聞いて、
(あ〜、この会に入って、私も自分のセルフエスティーム上げられるかな・・。)と、私も頑張ろうと思った。

でも自分が感じた事は、ある権威に服従する・コントロールされる感じ、もしくは権威に気に入られる事での恩恵が目の辺りにわかるなど、一種のパワーゲームにも見えた。なんだまるで上下関係のある会社と変わらない。でも、会社では無いので、お給料は出ない。


何を求めて・・?
認められるというのはどういうこと?


「認められるというのは、誰に?何に?」 この「認めらる」という感覚を誤って自分に植え付け長年続けてしまうと、後からは修正にくくなってしまう・・・。


・・・・

私は、とりあえず、自分に関しては「ACの12ステップ」で満足してる。(子供の事は、発達障害に関連した親の会に入ってるけど、自分の為にも、自分の為の自助グループにも参加してる・・・)

「誰かに認められる」「何かに認められる」とかではなく、公平な時間を今この場で与えられるという場があるということで、嬉しいと思ってる。


「認められる」というのは、特別自分だけ、褒められるとか賞賛される事とは違うと私は思ってる。
(一生支援が必要かもしれないという子供の事ではなく、今まで何とか世間でやってけてるのに、自分は発達障害があると言ってる人達の「認められる」という事についてです)


まずは、皆それぞれだけど、一緒に居ていいんだよ。
今ここに居て良いんだよ。
まずはありのままの存在を、無批判・無批評・無審判・おせっかいなアドバイス無しの中で受け入れる事が「認める」事だと思ってる・・・・


・・・・
褒められる、賞賛されることばかりが、「認める」じゃないと思うよ。
確かに「褒められる」人生じゃ無かったかもしれない・・・。けれど「褒められる」「賞賛される」ばかりを求めてると、違う方向(権威主義、名誉を好む、他人に褒められる為、他者に認められる事ばかりを望むなど)に行ってしまう気がする・・・。


まずはありのままの存在を、無批判・無批評・無審判の中で受け入れて貰う事が「認める・・」そこまでたどり着ければ・・と思う・・・


・・・って、話をまともに聴いてもらえない辛さ、苦しさを、機能不全の関係から感じて、無批判・無批評・無審判の中で話を聴いて貰うこと、受け入れるの有難さを知ったのだけど・・

いつも、痛みを感じてからじゃないと有難さを知ることが出来ないのかな・・?心が壊れない程度の痛みなら良いのだけど・・・。



※ちなみに「人格障害」については、

・診断
人格障害では、所属文化から著しく偏った内的体験・行動が持続する。しかしその内的体験・行動には柔軟性がなく、かつ広く個人的・社会的状況にわたるため、本人や周囲に苦痛や社会的障害を起こしている。

そのため、「人格障害である」との判断は、文化・社会環境に依存するものであり、同じ状態であっても置かれた環境によっては「人格障害」とは判断されない場合もある。たとえば、相互依存的な文化習慣色が比較的強いとされることの多い日本では、欧米で「依存性人格障害」として定義づけられている状態を「病的」とみなさない事が多いとされる。無論個人による見解の相違もあり、障害と見做すかどうかの絶対的基準は無い。


・治療
人格障害は一種の「性格」であるとも言えることから、「治療」と呼んでいいものか、という意見もある)は、精神分析的精神療法や認知行動療法などの精神療法を中心にして行われる。

wikiのより引用