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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

関係性が専門性を越える・・

例えば、医療の専門家の診立てや処置や医療ケア(=専門性)より、普段長く接してる家族や介護者(=関係性)の方が、うまく診立てや処置や医療的ケアが出来る場合があるという話。

今の職場で、自分が抱えている問題の答えは、「関係性が専門性を越える」なんだけど、、こんな考え方が全く通らない現実が目の前にある。

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約14年前(1995年頃)、ADHDやLDという言葉すら知らない保健師に「ADHDやLD」の診断が出来る専門機関に、2歳半の息子を診て貰いたいと思ってると育児相談の中で私が話した時、柔軟性のある保健師は私の思いを受け止めてくれた。

市内の保健センターがやってる親子教室で「多動児を、泣こうがわめこうが、、どんなに抵抗しようが、羽交い絞めにしてまで、その親子教室に最後まで参加させる。」ことが療育だと思っている保健師もいた時代。

自分の子供を、泣こうがわめこうが、、どんなに抵抗しようが、羽交い絞めにしてまで、その親子教室にいなくてはいけない状況を、おかしいと思った私は、「親子教室を辞めたい」と話したら、「多動児を、泣こうがわめこうが、どんなに抵抗しようが、羽交い絞めにしてまで、その親子教室に最後まで参加させる。」が療育だと思っている保健師から、「子供の事を考えていない親」と言われた私。

当時「多動の息子を、泣こうがわめこうが、、どんなに抵抗しようが、羽交い絞めにしてまで、その親子教室に最後まで参加させる。」親子教室を辞めたいと私が話した時、
「子供の事を考えていない親」と言われ、「お子さんが良くなるかはわからない。」と言った保健師の言葉が、

私にとっては、本当に理解出来なくて、納得出来ない話で、これからの育児が真っ暗に思えて・・・。当時は早期発見・早期療育なんて、考えてもいないし、そんな考え方もまだ全然広まって無い時代だったし、ただ、ただ、子供の事をきちんと理解出来る話をしたかっただけ。親としてもっときちんと相談出来たという実感が欲しかっただけ、それだけ。

だれが、障害児の認定を受けに、進んで専門機関に行くと思うか??
ちゃんと、納得できる話をしたくて、その話が出来そうな所が、ADHDやLDを診れる専門機関だっただけ。

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関係性が専門性を越える・・

って、もう14年前に、一度その壁にぶつかってたけど、当時は、障害当事者の親の権利で、親である自分が専門家を選ぶ立場にあったから、もうさっさと、まともに見れない、診れない、専門性の方とはこっちから、おさらばできたけど・・

今は、介護支援の関係性のある立場として、専門性である方達の古い体質や考え方にしっかりと支配されてしまってる・・・。

研修に行かせて貰ったのは良いのだけど、現実はまだまだの部分が、よーーく、よーーく、確認できた研修でもあった・・

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そういえば、息子が3歳の頃、当時は支援費制度でもない頃、県内で一番大きな子供の医療をやってる病院で、MRI検査を受けた時の当時の担当の先生。
今ではすっかり有名で、特に今私が仕事で関わってるケアに関する事にもとても貢献してきた医師でもあるようで、

14年経った今でも、あの頃の事は、覚えてる。
MRI検査受けた後、ベットで麻酔が残って寝てる息子の側で、夫婦喧嘩して、その医師が仲裁に入ったから、覚えてる。一見冷たそうに見える医師だったけど、夫婦喧嘩の仲裁に入るんだから、意外に人情味のある医師なんだな・・って、その時思ったけど、

今私が仕事で関わってるケアに関する事にもとても貢献してきた医師と知った時には、意外に人情味のある医師というか、人情味がちゃんとある医師なんだ・・と14年経って思った。


自分の子に障害がある事を受け入れるのは、本当に葛藤だし、受け入れるのは、複雑な気持ちで、不安が一杯で。

やっと、自分の子に障害がある事を受け入れたと思ったとしても、障害当事者を本当に理解し、支援してくれる人がいかに少ないか・・

関係性、専門性も大事だけど、「人情味」も非常に大事だと・・思う。