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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

非言語性LDと、場の空気を読むこと

ADHD/LD/PDD広汎性発達障害の個人的雑感]非言語性LDと、場の空気を読むこと

(いまだに自己愛人格障害傾向の人に出会う時がある、またはその人の自己中ぶりが、過去の自己愛人格障害傾向の人とオーバーラップすることがあり、たまにフラッシュバック起してますが・・・)


最近思うこと・・・、
何でも、大きな枠に入れてしまおうというのが無理がある・・と思うときが多い・・・。

非言語性LD・・・という考え方・・なんで無くなってきたんだろうなぁ・・。
あれは、あれで解かりやすかったのだけど・・
非言語性LDの人の中には、アスペルガー的な人いたかもしれないけど、アスペルガー的な自閉的特性を、あまり持ってない人もいるのに・・

だからと言って、自閉的特性をあまり持ってない人たちを、今度は非定型自閉症(PDD−NOS)に入れちゃうのも・・・



ブログ読んでても、「あ〜この人は、アスペルガーと診断受けてるらしいけど、内面的な思考はアスペルガー的に感じない」と思う人多い。
いわゆる「空気が読めない人」ではあるかもしれないけど、「内面的な思考はそれほど自閉的ではない人」けっこう多い気がする。

この、「言語能力が優れてる」「空気が読めない」・・・は、非言語性LDの方がしっくりする。。だって自閉的特性はあんまり無いから・・・




それと、もともと認知的な偏りを持ってる人が、育った環境の中であるトラウマ的なものを抱えてしまい、時にそれがPTSDのようになったり、フラッシュバックしたりするような状況が、自閉症的だね・・という事で、広汎性発達障害という大枠におさめてしまう感じも、イマイチな気持ち。


認知的な偏りを持ってる人が、育った環境の中で、あるトラウマ的なものを抱えてしまい、それによって生じてる行動や思考のクセを、広汎性発達障害という大枠におさめてしまうよりも、ACとか、共依存とか、機能不全として自己理解していった方が良い人も多い気がする。。

皆、違うのが前提・・、生まれ持っての体質も、特性も、育った環境も・・だから、あんまりにも大きな枠内に、ぶちこんで説明してもどこかで無理が生じてくる気がする・・・



「言語能力が優れてる」「空気が読めない」それに加え、「記憶力が強い」が加わると、「空気が読めない」ことと、過去の「記憶力からくるフラッシュバック」が重なると、確かにパニックは起すと思う。

でもこれは、自閉症の特性である、独自のこだわりがプラスされてる、パニックとはちょっと違うと思う。

あくまでも、過去の「記憶力からくるフラッシュバック」であって、自閉症の特有の「こわだり」には感じない。「記憶力」と「こだわり」は違う。


例えば私が、ここ何年も「自己愛人格障害傾向」の人に触れてるけど、これは「こだわり」じゃない。

私自身の、今後の人間関係としての自己防衛として「自己愛人格障害傾向」という人への対処や考え方を整理しているのであって、私自身の記憶力からくるフラッシュバック対策として、考え方を整理しているのであって、こだわりとはちょっと違う・・




自己愛人格障害傾向」の人は、「矛盾した事ばかり言う」「自分の都合の良いことばかり言う」この言動は、対人面で記憶力を発揮してしまう私などには、 

どうしても、その自己中心的な言動に対し、私の方が「一言でも言いたくなる衝動にかられる」人達でもあるんだけど、

自己愛人格障害傾向」を相手に、「物申す」のはとても大変なことで、「物申す」などした場合、こちらがその何倍も嫌な思いをしてしまう・・・。

こちらがその何倍も嫌な思いをしてしまう・・・は、経験で学んだはず・・。 経験で学んでも、痛い思いしても、出会おうとついつい私の衝動性で、またその自己中心的な言動に対し、私の方が「一言でも言いたくなる衝動にかられる」もう、この繰り返しが多くて・・

自己愛人格障害傾向」の言動に対し、少しでも冷静でいられるように、考え方を整理してるのだ・・・。言いたくないけど、発達障害児の親に多い「自己愛人格障害傾向」の人・・・。発達障害児の親の集まる場にいる以上、「自己愛人格障害傾向」の人に出会う事は、避けられないのだ。

また、ここ近年「自己愛人格障害傾向」も、生まれ育った環境で生じるのではなく、脳の構造的な事から生じるともいう・・。また「自己愛人格障害傾向」の要素があったからこそ、今まで鬱などにもあまりならずに生きて来れたんだよね・・


話を聞いてて、見てて、思わず私としては、「前は○○言ってたのに、なんで今は、全く違う××な事を言ってるの?」「よくそんな手のひらを返したような、自分中心に言えるんだろう?」と・・すごく思い、
思わず「前は、○○と言っていたよね?」と私は言いたくなる・・・

私が例えばそのように指摘すると「自己愛人格障害傾向」の人は、
「そんなこと言ってない」とか「もしくは話をはぐらかす」ことも多い。そして指摘した話をはぐらかし、指摘してきた相手の弱点を見つけ、今度は攻撃してくる・・。そんな事してくるからこそ「自己愛人格障害傾向の人」なんだけど・・・。


もちろん、会社にもこういった矛盾だらけの言動の上司はたくさんいる。
じゃあ、世の中の上司は皆「自己愛人格障害傾向か?」というと違う。
どのように違うかは、私はわかっている・・・。

だから、会社以外の場所でも上下関係を持ってくるヤツが大嫌いだと自分が言う事で、私は会社内の人間関係と区別している・・・。


もちろん「自己愛人格障害傾向」の上司は、いるとは思う・・・
自己愛人格障害傾向」の上司が居る社内部署は、たいていは「機能不全」の関係になってる事も多く、退職する人が多い・人の出入りが激しいか、もしくは、「自己愛人格障害傾向」の上司を崇拝する部下で、狭い考えてやってるか・・など、そんな会社・部署も多いと思う。



また、「共感力がある」からこそ「その場の空気にあえて従わない」とうのもある。

「その場の空気」というのは、必ずしも誠実な人間関係の空気とは限らない。


「上下関係から来る空気」
「一部の我の強い人を刺激しない為に、やり過ごす空気」など、ある・・・

「KY=空気読めない」などで、その場に相応しい言動が出来ないとかではなく、「不誠実な関係(機能不全)が、かもし出す空気」に対し「反発」したくなる人だっているのは当然で、


私などは、「不誠実な関係(機能不全)が、かもし出す空気」に対し「反発」したくなる・・。なぜ反発したくなるかは、過去の自己愛人格の人とのフラッシュバックが、反発心として出てきてしまう・・・・。


もちろん、「KY=空気読めない」くて、パニック起す、非言語性LDの人もいるかもしれないし、「その空気が過去の悪い記憶のフラッシュバック」を起してる、一部の記憶力の高い、LDの人も居るだろうと思う・・



あと、共感力はあまり持ってないけど、
「その場の空気にやたら従う、AS(アスペルガー)傾向の人、ADHD傾向の人」をたくさん知ってる。

他者の気持ちを感じ取るのが苦手なので、その場の空気にとりあえず合わせてしまうのだ・・。こうなると、「その場の空気にやたら従う、AS(アスペルガー)傾向の人、ADHD傾向の人」の方が、

ある場面では、私より以上に、「その場の空気にやたら従う、AS(アスペルガー)傾向の人、ADHD傾向の人」の人達の方が、コミニュケーションがうまく取れてるように見えることになる・・


でも、「不誠実な関係(機能不全)が、かもし出す空気」でさえも、ただ合わせてる・・・、
それは、他者の気持ちがわかる、つまり共感力があるとは全く違うので、「その場の空気にやたら従う」人が、自分自身にとって良い相談や話相手になってくれる人や、専門家を見抜けることはできなかったりする。


その場の雰囲気にただ合わせることと、人を見抜くことは別だから・・


なので、「AS(アスペルガー)傾向の人、ADHD傾向の人」で尚かつ「その場の空気にやたら従う」人は、本人にとって一番大事な支援者や理解者をなかなか見つけてなかったりする。

「その場の空気にやたら従う」から、一見コミニュケーション取れてるように見えるけど、本人の解決にはなってなかったりする。


・その場の空気は、誠実な人間関係からくる空気か?
・その場の空気は、不誠実な人間関係からくる空気か?
・空気を読めるけど、その空気は不誠実だから心からは合わせてない
・その空気の不誠実さまでは読めないが、その空気にとりあえず乗っかっておけば失敗は無いだろう

その場の空気でもいろいろあって、空気の意味や内容はどんな不誠実なものでも、とりあえず、場の雰囲気を壊したくないというだけで従ってる、という「AS(アスペルガー)傾向の人、ADHD傾向の人」「定型発達の人」も多いと思う。



非言語性LDの人に近いなぁ〜と思う人のブログでは、

個々の人の気持ちは、わりに理解出来るんだけど、
全体としての人とのつながりとなってしまうと、混乱してしまうように見える。たくさんの人が絡むと、混乱してしまう感じがする・・

個々の人の気持ちがわからない訳じゃない・・

人は皆、それぞれ個人の考えによって、相手によって場面によって、態度や言動を変えてくる、その変貌する姿についていけない感じ・・・、けして個々の人の気持ちがわからない訳じゃない・・・


特に記憶力があれば、変貌する姿を見るのは、けっこうキツイものがある。私がそうだから、何となく解る・・。


人は皆、それぞれ個人の考えによって、相手によって場面によって、態度や言動を変えてくる、その意味は私は知ってる。これが世渡り上手の人がやることなんだけど、

非言語性LDの人の人にとって、この変貌が、
どのように社会的に世渡り上手になってるのか、その前後関係がピンと来ない部分なんだと思う。けして、個々の人の気持ちがわからないじゃない。

多くの人の組織図というか、たくさんの人達が居る事によって生じる人間関係、人が増えれば増えるほど、混乱してしまう、そんな感じがする。



そこが、自閉症の他者の気持ちがわかりにくい・・というのとは違うと思う部分。。