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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

発達障害支援法が出来る前、出来たあと

うちは、発達障害支援法が出来る何年か前に診断を受けたので、当時はまだADHDだのLDだのアスペルガーだのと、今よりもずっと認知さえされていなかった時代を何年か過ごしてきたので、

専門の病院で診断受けたと話しても、

保健婦さんでさえも、療育センターの保母さんも、幼稚園の先生も、小学校の先生からも、ADHDだのLDだのアスペルガーなんていうものは無いと言われた時代を過ごしたので、


今のように発達障害支援法があり、特別支援として、子供のADHDやLD特性理解して貰うのが当たり前の権利を持てなかった時代にいたので、先生に理解してもらう難しさというのを、本当に感じて今まできたので・・



きちんとした診断や、専門の先生の話もない中で、親だけの個人的な知識からくる話で学校の先生に理解して貰う・・という発想が出来る、今の人の考え方と自分の過ごしてきた時代のギャップをすごく感じる。


ギャップは、ギャップで仕方ないと思う・・・


でも私は、これからもずっと忘れないと思う。


発達障害支援法というのは、どんなに努力しても理解して貰えない親達が頑張って声を挙げて作った法で、診断書があってもそんな障害なんて無いと言われた時代。

親が子供を受け入れてあげなければ、子供にとって学校はもっと居場所が無かった時代。


義務教育の中に、ADHD/LD/広汎性の特性を持った子供の居場所が本当に無かった時代(今でも一部あるかもしれないけど・・)を知ってるから、自分は受け入れて無いけど、先生には知識を持って欲しいという矛盾を抱えた考えに行く事なんて出来なかった


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説教臭い話は嫌いだけど・・・


発達障害支援法が出来る前というのは、親自身がまず気が付くきっかけを何かしらで感じた時、そこから親が動いて、専門機関に行くという段階を踏み、初めて発達障害を知るとなる・・が多かった・・・。

だって、当時は、発達障害の本も殆ど無かったし、
発達障害の講演会も勉強会も、あちこちで開催され・・なんてことは無かったし、
またそういった情報をインターネットで得ることさえも出来なかったから・・

だから最初は、専門機関に行く・・こういった道筋の人が以前は多かった。



今は、インターネットの普及や、発達障害支援法のおかげで、親達は自分から気が付かなくても、他からの情報で発達障害を知る事は出来る。それは本当に良いことだと思う。

発達障害を説明した本もたくさんある。専門家の講演会・勉強会もたくさんある。それこそ対象の子供が専門機関で診断受けなくても、親だけで自己流の発達障害の知識も得る事が出来る・・

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でも、これが子供に診断が付くのを恐れる気持ちが強くて、専門機関を遠ざけ、自己流の考えで子供は何とかやって行けるのではないかという思いばかりで、理解から遠ざかってる・・??


そういった場面を感じた時に、結局受け入れないというのは、どの時点でもどの過程でもあるんだな・・と思った。。

専門機関に行っても受け入れられなかったのか、
受け入れたく無いから、専門機関をあえて遠ざけて行かない・・。

の違いなんだ・・。

結局受け入れないというのは、変わらないんだ・・。


受け入れたくない、だけど子供の事は悩んでいるという人に、専門機関に育児のことを相談する気持ちで行くといいよと言っても通じない。

今の悩んでる気持ちを話せばいいんだよ・・と言っても通じない。

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こういった「受け入れたく無い」という気持ちを、聞いてるのは、個人的に辛い・・。自分が親に受け入れて貰えなかった時の事とオーバーラップしてしまう・・。

親の見栄やエゴを、親の言い訳でくるむ。でも、どんな言葉でくるんでも、私には、その見栄やエゴが丸見えで・・・。受け入れたくないという気持ちを聞いてると、こちらも苦しくなってくる。

だって、その話の中身はどうしても、私にとっては非寛容で他罰的な感情を感じてしまうから・・。
そんな表情で語ってる人を見たくない。そんな親の見栄やエゴの言い訳も聞いたりするのが苦しい。目や耳を覆いたくなる。


自分が苦しくなることは、私も無理に手を出さない。こと!!
そう思った。話を聞いてる私までなんだか辛くなってしまう・・

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だって、こっちは一生、理解と支援をしていくつもりだという気持ちでいるから、

安易に生きて来た訳ではないので、安易に考える事が出来なくなってる自分なので、

訓練すれば、指導すれば、よくなる?なんて安易に思えないもの。



どんなに努力しても、頑張っても叶わないものがある。それを何度も感じてきたから、ある種の受容は早い。

でも、ある種の受容は早いからといって、諦めてはいない。

どんなに辛くても、楽しみを見つけてきたから、生きる楽しみを見つける工夫を自分なりにたくさんしてきた・・。



たぶん、与えられるだけ、叶うばかりの経験の多い、甘いお嬢様、お坊ちゃま育ちは、私の場合ずっと苦手なのかもしれない。

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ただ、苦労してる人ほど、苦労してるように見えないのがね・・


甘いお嬢様育ちの人の方が、こういった子供の子育てでだけで、ヘロヘロになって一見とても疲れてるように見えるんだよ。


苦労性で育った人の方が、長年の苦労慣れもあって、一見苦労知らずに見える。

たぶん、この見た目のギャップも、与えられるだけ、叶うばかりの経験の多い、甘いお嬢様、お坊ちゃま育ちには、全く見抜けないだろうし、気が付きもしないんだろうと思う。