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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

メンタル面でダメージが少なく、それなりに社会で自立出来ている、ある特性の傾向のある人については、障害とは分けて考え、○○傾向の人と考えての話です


ADHD傾向の人の気持ちがわからないという時は、

その考えを、客観的に考えられない時、
その考えが、自分中心に向かってしまってる時、
自分なりに、この考えだと過集中してる時であって、
その考えや気持ちに対し、ある程度過集中が冷めれば、かなり分別よく相手の気持ちがすっとわかる事が出来る、

他者の気持ちをある程度、想像・想定し理解するという共感力は多少備わってるので、相手に対し、気持ちがわからなったという自分の非を、相手に詫びる事が出来る。


ADHDの衝動性が強い場合)、

その考えを、客観的に考えられない時、
その考えが、自分中心に向かってしまってる時、
待てないという衝動性で、ついつい自分流の考えや、結論を周りの人に強制してしまう。

この行為が、人の気持ちがわからない行為に見えてしまう。


(ADDの、のんびりしすぎる場合)、

ぼーっとしてて、または他に気を取られてて、
相手の事を考えるのを忘れてたとか、気が付かなかったとか・・。

それが、相手にとって、「配慮が足りない」と思わせてしまったりするのだと思う。


●AS:アスペルガー傾向の人の気持ちがわからないという時は、

あくまでも自分のこだわっている考えが中心であり、ある程度の時間が経過しても、その考えにあまり変化が見られない。

また、人の気持ちや感情というものに対し、希薄であり、他者の気持ちがわかりにくい。希薄であり、わからないので、相手に失礼なことをしていたとしても、悪かったと思わない、気が付かない。

他者の気持ちを感じる事が苦手なので、相手に詫びる事、謝らない人が多い。但し、ASの人にとって愛着のある人、何かしら自分にとって有利な人に対しては、詫びるという事が出来る。


▼人の気持ちがわからなくても、出世しているAS傾向の人

何とか適応し、なかにはそれなりに出世している?AS傾向の人
・よほどの能力があり、その高い能力を生かし、出世出来てる
・専門資格や専門職に就き、自分の持ってる膨大なデータを活用しながら、何とか適応出来てるなど・・


▼その他の出世しているAS傾向の人の一部の人、または自己愛性人格障害の人

・ASの人が、人に親切にしている場面があるが、それはASの人にとって愛着のある人や、上下関係の中で自分にとって有利である人であったりする。

・または、そういった利害関係ではなく、親切にするという行為にこだわっている、または模範的な行動が親切な行動につながっていたりする。


▼また、ある場面でそこそこ適応できてる人の中には、ことの善悪や良識や人情とかではなく、他者の気持ちに鈍感で、上下関係のみに徹する事が、適応できる要素でもあったりする場合がある

組織の中の上下関係を優先し、その場での人間関係に適応していくというのは、ことの善悪、良識、人情があればあるほど、ある意味心を痛める事も多々ある。

それらに心があまり痛まなくても済むというのは、つまりは「ことの善悪」「良識」「人情に希薄」で、徹底して組織の中の上下関係を優先出来るというのは、心を優先するではなく、表面で目に見えることだけ優先すれば良いという、自己愛性人格障害の人の特性を感じる


・事の善悪や良識というのに、こだわってるASの場合は、当然ながら組織の中の上下関係を優先し・・は出来ない。この場合はとことん、事の善悪や良識を貫く。




私が感じるASとADHDの境界線は、共感力だと思う・・。共感力が乏しいほど、AS的になると思う・・。

ここで、発達障害の特性はあまり持っておらず、共感力の乏しい人格障害の人が、「私は発達障害と診断された」と言っている人達も、混ざってきてしまう感じもあり、ややこしくなるのだけど


行動面がADHDで、尚且つ人に対し、共感力が乏しければ、友人と呼べる人を複数持っていても、ASぽくなるとか、広汎性発達障害の中の非定型自閉症となったりするのではないか・・と思う。


そして、それぞれの認知的な偏り具合によって、共感出来る内容も、人によって違うのではないか・・と思う・・

また、行動療法やコミニュケーションを学んで、それをルールやマナーとしてうまく使えてる時やある特定の場面では良いけれど、

基本的な共感力を備えていなければ、他者の気持ちを理解しようとする努力や意欲は希薄な訳で、他者の気持ちがわからないASの特性が出てしまうと思ってる。


ちなみにはてなリンクでの「共感」の説明は、「共感=同感」となってるが、「共感」は「同感」と同じ意味ではないのだけど・・





共感とは
相手の立場・状況・感じ方が、自分と違っていても、相手の内なる立場に立って、相手の考え・思い・感じていることを、理解することをいう。またそのように理解しようとする気持ちや努力。相手の気持ちを感じ取る努力をしながら、相手との間に適度な心理的距離を置きながら、相手の感情に巻き込まれないように理解すること。

なので、自分の知らない事を、客観的な立場で想定したり想像したりするのが苦手な自閉症の特性では、共感力が苦手なのは当然のような気がする


他者の感情を感じ取るというのは、過去の人との関係で記憶されてきたやりとりを、自分で拾い出し当てはめるだけでは理解する事はできない。

他者の表情、他者の困り感など、他者は常に感情を、表情や言葉で表現していたりする。なので、他者の感情表現をあまりにも多く気が付かなかったりしていれば、客観的な立場で想定したり想像したりするのは難しいと思う。


例えば、発達障害傾向の無い・定型発達の親などの場合、仕事や家事などで忙しくて、子供が困ってるというSOSの感情表現をうまくキャッチ出来なかったという場合があったりもするが(子供と充分に過ごす時間が無くて、気が付かなったと言う事もあるが・・)

自閉傾向・いわゆるAS傾向がある親の場合では、子供と過ごす時間が充分にあっても、子供の感情表現をうまくキャッチ出来なかったりする・・。
それは、共感力の基礎となる、他者の感情表現の受け取りの部分で、つまずいているから・・・。(他者の感情表現の受け取りが上手く出来ないので、一緒に過ごす時間が長い短いは、あまり関係無かったりする)



また、

同感は、相手と同じ感情になること。

共感は、相手の感情を理解するが、相手と同じ感情にはならない。


なので、AS(アスペルガー)では、相手と同じ感情になる「同感」は、偶然と言う形では、出来ると思う。

でも、共感は、難しい。特に自分と考えの違う人。また自分が相性悪いと感じてる相手には特に難しいだろうと思う、


また、相手に対する共感的な理解をするためには、主観的、情動的な理解だけでなく、客観的、知的な理解もあわせて必要となり、とても高度な関わり方でもある。

もう少し優しい言葉で表すと「相手に対する思いやりある関わり、相手の気持ちを尊重する関わり方」ということにも近い部分がある。


共感は、人に諭したり、アドバイスすることよりも、もっと難しいことだと思っています。

諭したり、アドバイスするというのは、基本的に自分の経験や情報からくる話を相手に伝えたこり教えたりすることです。共感とは、相手の立場・状況・感じ方は違っても、相手の気持ちを理解しようとする努力ですから、難しいのです。


共感というのは、本来はとても高度な関わりなので、

また共感は、相手がいることによって生じる関わり方なので、関わる相手との相性によっては、気軽に出来る時もあれば、努力と忍耐が必要な時があります。




(PS)
翌日の日付(時間帯は午後)で、あるブログで、ある部分で似たような内容が記載されてる。少し驚いた・・。そのブログを読んだ事は何度もある(私の知ってるAS傾向の人に共通点が多々あるので)、けれどその方の発達障害に対する考えは、

解る部分と、殆ど解らない部分、または私が感じた事とは違う事とか、全体的にその方の考えは賛成出来るとか、理解できるという感じではない、でも今回はたまたま似たような文書があった。

全く嬉しくは無い。また匿名のある人物は予測していた方と一致した