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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

▼▼今まで、ショッキングな事件が起こるたびに、精神鑑定の診断名がニュースに飛び交う。

表面的なことしか記事にできない報道にはいつも残念です。
そのたびに、その診断名と同じ疾患を抱えている多くの関係者や関係者団体から、その疾患と事件との報道に関しての記事について、誤解や人権擁護としての意見が出され、診断としての疾患名は、次々と変わる。


そして、今回のある事件の加害者の診断名は「自己愛人格障害」だよ。馬鹿馬鹿しいと思った。

加害者が、「ニート」だとか「引きこもり」だとか、「ゲーム好き」だと聞いてただけの時は、それに当てはまると感じる人達の中には、「もしかしたらうちの子供も・・」と思って不安だったのが、またここで新しい何かの診断名を出すことによって、

「ああ、うちの子の疾患と違う」とか、
「普通の神経じゃない人がやったことだから・・」とかで

妙に安心してるとしたら??、あほか・・と思う。


http://www.j-cast.com/2008/09/04026272.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080904-00000005-jct-soci



「なんでもかんでも診断名をつけるなよ」・・って、たまに見たり聞いたりするけど、こうやって事件の報道で診断名が出てきたときには、それに関連した事として、「なんでもかんでも診断名をつけるなよ・・」っていうヤツは少ないんだよ・・・。

「なんでもかんでも診断名をつけるなよ」って言ってる割には、こういった事件に関しては、何か原因としての理由があると安心するから、とりあえず診断名が出ることによって、ほっとしているという・・。

この矛盾を頭の中でしている人たくさんいる・・・と思う。

理解不能”とされた子どもに対応するのは、司法や医療です。精神鑑定が行われ、昨今だと○○○障害などの名前が付けられて、一件落着することが大半です。

 こうした診断名が付くことで多くのおとなはホッとします。
「ああ、やっぱり病気(障害)があったんだ」
 そう思うことができれば、容疑者に“正常ではない”というレッテルを貼ることが容易になります。そうなれば“あっち側(自分とは違う世界)の人”として切り捨ててしまえます。自分の親との関係や自分の子育てが脅かされる心配もありません。

http://www.iff.co.jp/kizuki/archives/2008/08/post_32.html



表面的にしか物事をみない、表面的にさえ取り繕えば良いという感覚・・、たぶんそれしかしない人には、報道とセットで取り合げられる診断名で、安心したり、不安になったりなのかもしれない・・。

事件には、家族環境や生い立ちが関わってると、もうずっと前から自分はそう思ってた。生まれた時から、人を殺したいと思う人って、本当にそうそう居ないはずだから・・

生まれ落ちた瞬間に「いつかは人を殺してやろう」と誓う赤ん坊など絶対にいません。そのままで愛され、思いや願いを受け止められ、きちんと社会に受け入れられた経験を持っていれば、世の中への復讐を思い立つ人間になど成長するはずがないのです。

http://www.iff.co.jp/kizuki/archives/2008/07/post_31.html

だから人間の子どもは、親(養育者)の愛を得ようと必死になります。親に愛してもらえない、親が顔を向けてくれないということは死を意味するからです。

http://www.iff.co.jp/kizuki/archives/2008/08/post_36.html

「人の顔色を見て、人に合わせて、嫌われないように生きていくのに疲れ、耐えられなかった。すべてを終わりにしたかった」

http://www.iff.co.jp/kizuki/archives/2008/08/post_35.html

「死刑になりたい」ーーそんな動機で、見知らぬ他人を殺める事件が相次いでいます。いわば「他者の力を借りた自殺」です。

http://www.iff.co.jp/kizuki/archives/2008/07/post_30.html

少年を担当した弁護士さんからは、「逮捕直後、面会に行くと、少年はいつも面会時間の終わりを告げるために近づいてくる職員の足音に耳をすませ、過敏に反応していました。きっと、いつも父親の足音や気配におびえながら暮らしていたんでしょう」という話も聞きました。

勉強や習い事をさせることには熱心だった母は、お金を工面して少年を海外にホームスティもさせました。

 でも、少年の気持ちを理解しようという気持ちは希薄だったようです。生活に疲れ、いつも「死にたい」とつぶやいていた母は、少年の食事の支度もほとんどしなかったと言います。 

http://www.iff.co.jp/kizuki/archives/2007/11/3_3.html



加害者と全く因果関係も無い被害者のご冥福をお祈り致します。