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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

自己愛性人格障害、共依存 見分け方

自己愛性人格の人や共依存の人達は、責任を取る事が嫌いなので、問題の解決を望んではない。
責任は、自己愛性人格障害の人が嫌う、謙虚と忍耐を要する。共依存の人達も、謙虚と忍耐を要する責任感という感情を避けている。
この人たちが望んでるのは、常に自分の心の欲求や要求を満たす事だけ。

自分の心の欲求や要求を常に満たす為には、謙虚と忍耐を要する責任感は非常に邪魔な感情なのです。

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ある日、自己愛性人格障害傾向の人とモメる事になった時に感じたこと。

その人は、
「相手に対するイメージを、相手に押しつけていて、ありのままの相手を認めない、受け入れない」人であり、(つまり相手の話や気持ちを無視してるということ)

「自分を立派に見せることで頭がいっぱい」なので、反省しません。

この人達の思い描く目標としている人とは、どんなに矛盾な事をしても苦言を言われない(言わせない)人、他人に罪を擦り付けて、自分は反省をする必要が無い人を目指しているので、自分の行動に責任を取らなくてよい、無責任を平気で出来る地位や立場を目指しています。

但し、相手には反省を非常に求めます。なぜなら相手は、自分より、未熟でダメな人間で、自分の尻拭いや優越感を与えてくれる人として扱いたいからです。

つまり「相手をより深い自信喪失に追い込みます。自分を有能な人間であるという印象を相手に与える」のだ・・。相手への人格尊重はない。あるのは、自分への人格尊重のみです。

自己愛人格障害的な人は「思いやり」が最も欠けている人です。周囲が自分の思うように動くはずだという気持ちでいるので、相手がそのように動かなければ不満になります

今、なんとなく不満でありながらも、ある人のいうことに従っているのなら、その人から離れることです。あなたを抑圧しているのは、その人です。その人と別れて、その人と関係なく生活することです。「ありのままの相手を認めずに、自分が持っている相手に対するイメージを、相手に押しつけている人」と会う必要などないのです。

自己愛的な人間は自分を立派に見せることで頭がいっぱいなので、自信喪失して悩みを相談する人をダメ人間のように扱います。その結果、相手をより深い自信喪失に追い込みます。自分を有能な人間であるという印象を相手に与えることで頭がいっぱいな人は、相手の悩みには本質的に無関心なのです。

ナルシストは自分のことを「思いやりのある人」とうぬぼれているため、恩着せがましく接してきます。「立場の弱い人間は、すべて自分の思うように動くはずだ」という、全能者のような考えを持っている自己愛的な人間は「思いやり」が最も欠けている人間です。周囲が自分の思うように動くはずだという気持ちでいるので、相手がそのように動かなければ不満になります。

自己愛的な人間には、はっきりと拒絶の姿勢を示すことです。支配欲が強くて疑い深く利益だけを求めながら、自分くらい無欲の人はいないと思っている人間とつきあっても心が病まないという強い人はまだしも、自分自身の心がまだ不安定に揺れ動いているような人は、この種の人間と付き合えば、せっかく病から回復してきてもまた病んでしまいます。

(↑引用させて頂きましたが、現在そのページが開けません)


(また、実際にこんな事もありました。)
全能者だと思っているので、自分が全て知っていないと気が済まず、人に任せず行ったことが、出来なかった、達成出来なかった事に対し「私にやらせてばかりで、誰も何もしてくれない」といきなりの責任転嫁。
責任転嫁を多くの人の前で行いながら。事情を知らない人からの同情を得るのを期待していたりする。
自己愛人格障害だと気付いている人は、また「勝手なことをしている」と感じるが、被害を受けたくないので、黙っている。

仮に、身勝手なことを指摘しても、話をすり替えてあげくのはてには、相手を抑えつける言葉や手段に出てくるから、結局、誰も自己愛人格障害へは、本音を言わなくなる。

おかしな事をしていても、誰も本音を言わなくなる。というのは、まるで「裸の王様」のよう。
自己愛人格の人の見分け方の一つは、「裸の王様」のようであるか?と言うの言えるかも。

自己愛人格障害の人たちは、自身の現実の能力を認めず、それ以上の評価を欲しがるのですから、「裸の王様」のようなものだと思います。



「してもらった」より、「してやった」という気持ちを持ちたがります。
そのためおせっかいをして、そのうえさらに相手に感謝を要求します。「してやった」という恩着せがましい態度は、無力感に悩まされている人間がとりがちな態度です。

そして、無力感に悩まされている人間は、相手にも無力感を与えるのが大のお得意です。
自分が無力感がいっぱいだから、相手にも無力感を与える
 
反面、愛情がたくさんある人は、愛を与えるのが上手です。思いやりにあふれてれば、相手に愛を与える事が出来る。相手の成長を望む事はするが、無力感なんて与えない。

自らの関心と内発的意欲によって、主体的に未来を創造している人は、他人の生活に干渉しません。しかし自己愛人格障害的な人間は、自分の満たされぬ愛情欲求から、「人間のあるべき姿」を装おって他人にからみます。他人に干渉しなければ、自分がもたないのです。

自分の成長欲求に関心をもつよりも、でしゃばって、他人の生活に干渉してくる人間は、相手を自分の欲求不満や自分の不適応の回復手段、自分の精神的バランスを解消する手段としか、見ていません。

弱い人間、無力感に悩まされている人間は当然「してもらった」より、「してやった」という気持ちを持ちたがります。その為おせっかいをして、そのうえさらに相手に感謝を要求します。「してやった」という恩着せがましい態度は、無力感に悩まされている人間がとりがちな態度です。不安感にさいなまれ、自分の人生に意味を感じられない人は、相手になにかをしてやり、相手からも感謝されることで自分の存在を確認しようとします。

参考 世間体を恐れず 加藤諦三 大和書房

また、共依存の人は自分の気持ちを伝えません」こんな部分も持ち合わせています。「そのかわりに、知ったかぶりの達人のようになって、人を変えようとします。共依存者が「あなたはこうしたほうがいい」と言うときには、自分の本当の気持ちの責任をとっていません。

「しいたげられる役を演じ、「あなたのことを心配しているだけなのに」と自分を正当化する思いやりの言葉をつけ加えます。そして最後に、「いつも私にかみつくのね」と相手の息の根をとめる」まさに、これをやられた・・。


たぶん・・・この人たちは、本心で人に謝ったりって無いだろう・・・。
自己愛者も、共依存も「自分で責任を取らない人達」だから・・・。

自己愛性人格の人や共依存の人達は、問題の解決を望んではない。
問題の解決を望んではないからこそ、謝る事も、反省する事も、責任を取る事もしないんだ。
この人たちが望んでるのは、自分の心の欲求や要求を満たす事だけ・・

誰かのせいで困っても、共依存の人は自分の気持ちを伝えません。そのかわりに、知ったかぶりの達人のようになって、人を変えようとします。共依存者が「あなたはこうしたほうがいい」と言うときには、自分の本当の気持ちの責任をとっていません。

共依存者は相手の自信にとどめを刺す言葉を口にします。まず「なぜそんなにカリカリするの?」(すぐひねくれて不機嫌になるのね)と相手の無神経を非難し、続けて「私がなにか言うとすぐそうして」(私の言うことにはいつも必ず)と問題を一般論に転嫁します。

それは議論を発展させるための策略です。そうして共依存者はしいたげられる役を演じ、「あなたのことを心配しているだけなのに」と自分を正当化する思いやりの言葉をつけ加えます。そして最後に、「いつも私にかみつくのね」と相手の息の根をとめるのです。

よく知っている人が共依存者でないか、じっくりながめ直してみる必要があります。完全にさけることはできないかもしれませんが、接点をへらすことはできます。非難してきたり、自己否定感を与えようとする人がそばにい続ける場合、自分で自分にやさしくしましょう。

参考 共依存かもしれない …他人やモノで自分を満たそうとする人たち
ケイ・マリー・ポーターフィールド 大月書店 

私をコントロールしないで! あなたを支配するパートナーとの縁の切り方
リチャード・J・ステナック 著 白川貴子 訳 VOICE