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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

過去・現在・未来の連続性

・・・過去・現在・未来の連続性の話から、自己愛人格障害--反社会性人格障害--行為障害--強度行動障害の連続体??という話に変わってますが・・(^^;A)


未来や、数年先を考える時に、大事なことってなんだろう・・?

発達障害に関連する、前頭前野に関連する、実行機能がうまく機能しにくい事によって起こりやすい

・過去の想起の欠如、
・将来に対する深い考慮の欠如がもたらされる

というのがある・・・

そして、過去・現在・未来の連続性として考えないという思考の仕方に、時間間隔が、なかなか掴めないことにも関係するのか・・?とも思うが、時間間隔を持ち出すと、かえってややこしくなるし、、実行機能がうまく機能しにくいという障害特性とは別として、


今ここでは、あくまでも、自己中心的思考と、過去・現在・未来の連続性の関連だけにしておく


自分の都合(自己中心的思考)で、過去の出来事を、無しにしたり、有りにしたりという思考ばかりの人もいる。

自分の都合のみで、ある考えを無しにしたり、ある問題を避けようとする行為を否認と言う。自己中心的思考の人は、よく否認というのを使う。自己中心的思考の人は、自分が自己中だというのを認めたく無いかわりに、ADHDの障害特性にすり替えようとする。

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依存性の強い人(共依存の人も含め)は、なぜか機能不全の関係を作りたがる。そして機能不全の関係では、常に問題を避ける・否認がよく使われる。

自己中心的思考の人は、問題を避ける・否認をよく使いたがる。

日々の思考の中で、自己中心的思考になりやすい人は、自分を中心において考えがちでもあるかもしれないが、それを無理に正当化することで、悪いけど、やっぱりこじつけや言い訳、偽善に見えてしまう。

自分に子供が居る、または、家族が居るとなったら、たいていは、子供や家族も視野に入れて考える事も増えてくる。

子供や家族を視野に入れて考える、多少自分の欲求を抑え、家族の為に・・という思考は、あるのは当然だし、家族の為にというのが自分の幸せでもあったりする。

自分の家族を差し置いてまで、他人に対し、良い顔をする事で、他人に世辞を言われたりして、自己満足を得たとしても、それが自分の為??と果たして言えるのだろうか・・??。
自分のしたいこと、自分の為と言っても、それ自体が、自分にとって都合良過ぎる、自分の為となれば、これはもう自己中的思考ではないの・・??と思ったりもする・・・

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今の行動、今の思考というのは、過去から、現在、未来に連続で繋がっていることであり、過去の反省や自省を取り入れず、未来への危惧も視野に入れず、今・現在の自分の欲求や、したいことだけを考えて生きているというのは、未来を考えている行動に見えないことが多い。


例えば、典型的な例として、生活習慣病などになる人は、我侭な人が多いとよく聞くけれど、どうして我侭な人?と言われるのか?と言うと、生活習慣病の治療に必要な、生活習慣をなかなか直せないから・・・と聞く。

生活習慣病の治療に必要な、食事制限・運動・喫煙などの日々の健康管理より、偏った食べ物を好きな物だからとそればかりを食べたがり、煙草を辞めれなかったり、運動が面倒くさがってしないなど、


とにかく、自分の健康の為の健康管理はなかなか出来ず、

今・現在、自分がしたい事や、自分の欲求を常に主としている為、

とても我侭に見えてしまうようだ。


でも、本人が本人の寿命を縮めるだけなら、我侭とは言われない。ではどうして、多くの人から、「生活習慣病になる人は我侭な人が多いねーー」と言われてしまうのだろう・・


ここで思うのが、生活習慣病になる人で、我侭と言われるのは、生活習慣に対してだけでなく、それ以外でも、自己中心的思考が強すぎて、物事への我慢・抑制力が足りない行動が多いのだろうと思う・・・

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未来や、自分の為というのは、結局どういう事なのだろうか・・?

例えば、自分がしたいことをするのは、確かに良いことだか、ゲームが好きだからと言って、勉強や仕事もせずに、毎日家でゲームをやり続けることは、なかなか正当化出来ない・・。

自分の好きな事ばかりして、給与貰ったり、生活は出来ないのだ。


ある種のこだわりは、常にそのこだわりを続ける事が、その人の精神の安定でもあるのだけれど、

でも、そのこだわりは、時には人に対し迷惑をかけてる事もある。重度の知的障害の人での、ある種のこだわりに対しての対応で、難しい対応の人もいるが、


でも、高機能・口達者の言い訳三昧で、時には、ADHDを主症状と言ってみたり、自閉もあるからと言ってみたりと、なんていうのかな・・悪いけど、そこの部分は、発達障害の特性ではなく、人格障害の部類でしょ・・・・・・と思わざるおえない・・・


(でも、自閉から統合失調症の方向の症状に行く方は、純粋な方が多いと思う。)


口達者の言い訳三昧の自己中心的思考の、白・黒思考、○×思考は、(自己愛)人格障害の部類じゃないか・・って、いっつも思う。(あくまでも個人的にだけど・・。)


発達障害の中の一部の特性が、幾らわがままに見えたとしても、人格障害の、あの自己中心的思考とは、やっぱり違うよ・・・。人格障害の特性を、発達障害の特性にすり替えて欲しくないな・・とつい思ってしまう・・。)


人格障害の人から、発達障害が生まれてくることも無くは無いとも思う・・・。人格障害傾向のある人は、喫煙や飲酒などに依存していたりと、不健康な生活習慣を持ってる人もいるので・・、リスクはあると思う・・・)



ps;
多少好きな分野で給与を貰える仕事を出来たとしても、我慢することはいっぱいある。世の中、甘くない。
つまり、世の中は、自分中心に回っていないのだ。

人格障害も何かしらの脳の機能の問題かもしれない・・。でも、発達障害の特性と混合して欲しくない・・と個人的に思う。それぞれの障害を両方持っているという意味で、重複をしている人は居ると思うけど、それぞれの特性を混ぜしまうのは違う気がする・・

ADHDとLDの重複、ADHDとLDとPDDの重複、と言う様に、特性はそれぞれある。その中で、あまりにも自己中心的思考の特性は、それは発達障害じゃない。
自閉症の人の、相手の気持ちをなかなか理解できないというのとも違う・・から・・・。


私が個人的に思うのは、高知能の自己愛人格障害者の連続体としての対極として、知的障害の強度行動障害の人が居る・・というような気がする。。
自己愛人格障害--反社会性人格障害--行為障害--強度行動障害というような連続体なのだけど・・

この特性の中の基本的な特性での共通として、育った過程での誤まった経験や認識、または二次障害、そして自分さえ良ければ良い、自分の思い通りにする為には、他者に対しての、他害、攻撃的な所が似ているような気がするから・・。

でも、強度行動障害の人への対処は、その人の特性をよく理解した、徹底した対応があったりするし、何よりも、知的障害の強度行動障害の人は、高知能の自己愛人格障害者の様なずるい言い訳はしたりはしないけど・・


(実行機能、自己中心的思考、自己愛人格障害で、思ったこと・・・)