自己認知・自己認識の歪みからくる自己愛パーソナリティについて・・
自己愛性人格障害(パーソナリティ)の人は、「白・黒」「○・×」思考なんだ。だから自分自身への評価も、「誰しも長所もあるが欠点や短所もある」という認識が結局出来ない。
自己愛パーソナリティの人も、自身の口から「誰でも欠点や短所があるから」と言うが、それでも自己愛パーソナリティの人の行為じたいが、
常に自己正当化が強く、自分自身への非になる事への回避が強く、相手の気持ちを汲むより、常に自分自身が大事で、また対等な話し合いというのを非常に苦手としており、権威や権力を好む、または他者を支配しコントロールしようとする行為が非常に多い。
回避依存のプロフィール
「わたしはそうは考えない」という、自分と違った価値観を受け入れることは難しいのです。相手からの抗議や、抵抗は、支配とコントロールの失敗ですから、精神的なストレスを増やしてしまい、逆切れ、暴力を招くことになりかねません。
自己評価を下げないために、自己正当化の材料を必死になって探したり、「自分が被害者であることをアピールする」ことをしつこく続けたりします。
そして、支配やコントロールをできないと知ると、簡単に相手を見捨ててしまいます。人に対する愛着は少ないのです。
>「わたしはそうは考えない」という、自分と違った価値観を受け入れることは難しいのです。
↑こだわりが強いとなりやすいと思う。
>相手からの抗議や、抵抗は、支配とコントロールの失敗ですから、精神的なストレスを増やしてしまい、逆切れ、暴力を招くことになりかねません。
相手への支配やコントロールがあったというのは、つまりは相手への依頼心が強かったという事でもあると思う・・。
支配とコントロールが強いというのは、支配やコントロールする側がしっかりした人間というのとは全く違い、
むしろ支配やコントロールする側が、融通性が無いから相手に合わせられない、だから相手が自分へ行動を合わせて欲しいという、依頼心の強さであるということ。
支配とコントロールが強い人=リーダーシップのとれる人という考え方は、違うと言う事です・・・
むしろ、
支配とコントロールが強い人=
依頼心が強い(つまり、融通性が無いから相手に合わせられない、だから相手が自分へ行動を合わせて欲しいという依頼心)
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また、リーダーには何を求めるか?と聞かれたら、職場のリーダー、つまり上司が頭に浮かびますが、私は、リーダー・上司には共感力と責任感を求めます。
無責任で共感力の無いリーダーや上司の下での活動は非常にやりにくいです。
リーダーとは、人を支配しコントロールする人では無いです。活動に関連する事への管理はしますが、同時に責任感が無いと、その活動はメチャクチャになる事も多いです。
>自己評価を下げないために、自己正当化の材料を必死になって探したり、「自分が被害者であることをアピールする」ことをしつこく続けたりします。
対等な話し合いをする事により、自分の過ちが見つかってしまい、自分の優位性を保てなくなります。なので対等な話し合いをするという形を取ろうとしません。自身の口から「誰でも欠点や短所があるから」と言いつつも、自分を優位に保ちたい、自分は間違っていないという考えがあくまでも強いのです。自己愛の人は、そうやって「自分の短所や欠点を回避していく」
自身の口で「誰でも欠点や短所があるから」と言いつつも、実際の行動・言動は、あくまでも自分の短所や欠点に対し見て見ぬフリの回避をし続けます。
なので相手を非難しつつ避けるという行為が多い。「自分が被害者であることをアピール」したり、何かと都合や理由(忙しい・体調が悪いなど)をつけて、対等な話し合いをしないようにしてきます。そして話し合いは出来ない状況・方向に持って行きます。
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>「わたしはそうは考えない」という、自分と違った価値観を受け入れることは難しいのです。
↑違った価値観に対し、こだわりがあると受け入れが難しい・・ことに補足して・・、
ある自己愛パーソナリティの特性を持ってるのでは?と感じた自閉傾向の人は、自分との対話を通し他者との違いを受け止められるようになったとあった・・。いかにも自己愛パーソナリティと自閉の両方を持った人らしい感じ方だと思った。
他者との違いを感じる・知るには、他者と実際に体と心で関わるしかない。他者との感情の関わり合い、話し合いや色んな体験・経験を通じて、色んな人の感性や感情や思考を感じながら、
他者との距離感の取り方や、お互いの考え方の違いへの折り合いの付け方、そして心理的な受容となっていくのに・・、
そういった人との情緒的な関わり合いは避け、
自分との対話だけで、他者との違いを受け止められるようになったと・・、そういった話を正当化しながら出来るのが、自己愛者的な印象に私は感じてしまったのだ・・
自分との対話で気が付いたのは、自分自身について(自己認知)であり、通常の発達ならば、自己認知能力は4歳でほぼ成人と同じ能力になる。発達の順序としては、→自己認知→他者1の認知→他者2の認知→となるのだが、
例えば自閉症の特性を持ってると、この最初の自己認知までたどり着くのが非常に遅い。自己認知が出来て、他者の存在に気が付いたばかりの段階で、違いを知ったと、もう自分はわかった・知ったとなってしまってる。それが体験や実経験を好まない、いかにも自閉症の特性のある人がやってしまう机上の理論だけで終始する発想に感じてしまったのだ・・・
本人にとって「自分とは違う考え・価値観」について、折り合いのつけれる対話に持って行くスキルは身についてついていない。でも本人は、自分の意見(こだわり)は押し通したい。だから自己正当化をしてくる。押し通しが効かなければ、相手との関係を切る。このやり方が、自己愛パーソナリティ的であり、また自閉症の中のある一部の特性にも似ている
また自分より目上の人や権威に対しては、従順だったりする極端な面もあるので、そういった部分も自己愛パーソナリティ的だと感じた。
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>そして、支配やコントロールをできないと知ると、簡単に相手を見捨ててしまいます。人に対する愛着は少ないのです。
対等な話し合いという形を取ろうとしないかわりに、関係を切るという事を平気でします。それくらい、人との関係より、「自分自身の都合の悪い事は、回避したい気持ちがまずは最優先」だという事です・・
なので自己愛パーソナリティの人は、他者に「ごめんね」「あの時は悪かったことをしたね」という、相手の気持ちを汲んで謝るというのをしない。だから回避という行動を取る・・。
自己愛パーソナリティの人で、たまに謝るような事をする場合もありますが、自己中だと思われない為の、自分が損しない為の表面的な謝罪はできます。
でも自分が大事な人ですから、「自分は悪くない」というのをどこかで言い訳で持っていたいので、他の人から「貴方は悪くない」という言葉を引き出したがります。
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自己愛障害の裏と表
正常な自己愛と、病的な自己愛を見極める指標の一つに、「暴力的な攻撃性」の有無があります。自己愛の障害では、自信過剰(誇大自己)や過度の自慢(自己顕示性)がよくみられます。そして、対人関係を、自己評価や利益を高めるために利用する傾向も顕著です。
その結果、自分にとって利用価値のなくなった相手に対して、手のひらを返したように冷淡になることもあります。
その恥や失敗から守ろうとする自己愛が強くなりすぎると、不安と緊張を感じやすくなります。
こうした不安は、挫折を知らないが故に生じているとも言えます。失敗に慣れることも大事です。一度転んでしまえば、転んだときの、「実質的な」痛手がわかります。
↑この上記の引用文の2つは、確かに二次障害から出てきたものを考える場合もあるかと思うけれど、生まれつき自己愛に対しての感じ方が、違うという特性を持っている場合(ある特性を持つ発達障害)もあるかと・・、思うときがあります。
>対人関係を、自己評価や利益を高めるために利用する傾向も顕著です。
対人関係を、自己評価や利益を高めるために利用する傾向があるからこそ、自分に都合悪い事は回避なのです。だから一方的に関係を切るという事をする。
本人にとって大事なのは、あくまでも自分自身であり、対人関係はもっと遠い所にあったりする。
>こうした不安は、挫折を知らないが故に生じているとも言えます。失敗に慣れることも大事です。一度転んでしまえば、転んだときの、「実質的な」痛手がわかります。
挫折から学ぶという事をしない人はいると思う・・。
例えば、常に嫌な事は心理的に回避するという形で過ごしてれば、挫折から学ぶという事を、いつまでもしないと思う・・
また「実質的な」痛手を、ズレた認知で捉えると、「実質的な」痛手は、本人の解釈によっては、どんな痛手になるかわからない。
「実質的な」痛手を、経験として学ぶのか、常に回避でいようとするのかは、その人の社会性への認知力とも関係あると思う・・。
対人関係においての認知がズレてる、ある特性を持つ発達障害では、自分に対しての認知・認識もズレてると・・・思うことがよくある。
http://nanahime.blog71.fc2.com/blog-entry-160.html
http://nanahime.blog71.fc2.com/blog-entry-103.html
DVやモラルハラスメント加害者に、自己愛性人格障害傾向の人が多いとも聞くが、他にはDV加害者の中には、AS男性も居たりするという。
解っている人は、もう気づいていると思うけど、ASの特性として他者の気持ちを汲み取りにくい、こだわりが強い、社会認知のゆがみ、この特性が時に、強い攻撃性になっている場合がある。
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また自閉症の特性を持っていると、どんなに心理学を学んでも、机上の理論から抜け出れないと思う。
なぜなら、人と生身で関わるというのをどうしても拒む、自閉症の特性が根底にあれば、人の生々しい心理を感じるのは、とうてい苦しいはずであろうから・・。
ドナ・ウィリアムズや、テンプル・グランディン著者の中でも、心理に関する話はたくさん出てた。でも、自閉症の特性を持つ人が語る心理の話は、どこか人ごとのような話し方なのだ。「○○でした」「○○である」・・みたいな、レポートするような話し方で感情や心について語っていたりするので、人の感情の生々しい体温を感じないのだ。
でも、人の心理とは本来そういった理論的な事ではないはず。心理学は理論かもしれないが、人の心理は、学問でも理論でもない。もっと生々しく暖かいものでもあるはずだから。
それでも世間には、自閉症特性のあるカウンセラーや医者もいますが、自閉症特性に自己愛パーソナリティ的要素がくっついたカウンセラーや医者は苦手です。