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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

偽(ADHDやASD・アスペ)になりたがる人格障害と発達障害の違い

人格障害の人が、発達障害ADHDASDアスペルガー)になりたがり、診断希望され、その後周囲に告知したがる事に対しての、見分け方なる記事を読むことがあった・・・やっぱり・・と思いつつ

同時に感じることは、発達障害に限らず、何かしらの障害や病気、鬱病等を持っていることを、周囲に自分から告知したがるという行為は、本来ならば非常に不利な事を率先して行っている行動となり得ないでしょうか。

なぜなら、本来、生きていく戦略として、自分の弱さを積極的にアピールする事は、不自然な事だから・・と個人的に感じるからです。


障害や病気、鬱病等、を持っている事を、周囲に告知すること、社会に対し、理解、配慮や対応をして貰うと言う事は、日本ではまだ馴染みが悪く、新たな差別を生んだり、難しい事でもあります。(この世に差別は無くならないという理論であれば、世界的にも、難しいのかもしれません。。。)


理解、配慮、対応が、もっと容易であれば、発達障害のある子が、会社や仕事とは違う、利益を生まなくても良い、人を育てる、集団生活の幼稚園や保育園、学校に通う事じたい、苦しまなくて済んだかもしれません。

障害や病気、鬱病等を持っている、ある意味弱い者(弱い部分を打ち消すくらいの長所が無いと)淘汰されやすい、自然の法則なのかもしれません。 効率性や利益と関係ない集団生活でも排除されやすいという、社会的な事実もあります。


安易に、○○だから理解してくれと、周囲にアピールしたとしても、上手く行かない場合が多くありますし、特に偽アスペルガーが多いようで、本当の障害特性を持っている人からも、偽りは困る、という話がネット記事でもたくさん拾える時代にになってきました。


発達障害の特性を強く持っている人程、利害関係のある、社会や集団生活の中で、上手く生きていく為に、周りの人から、配慮してあげようという気持ちを引き出す方法、周りの人を上手く巻き込む(コントロールする)というのが、持ち合わせていない、それらが苦手だから、更に困っている部分でもあります。


障碍者枠以外の手段で、どうしても職場に伝える必要がある以外は、自分から口外しないというのは、何も発達障害に関してだけではありません。病気や鬱病等に関しても、同様です。
利害関係のある社会や集団生活の中では、何かしらの特別な理解や配慮をして貰い、上手く生きていく為には、【余程、魅力的な特性を持っているまたは、非常に高い能力を持ち合わせている以外】では、周りの人から、配慮してあげようという気持ちを引き出す、上手く巻き込む(コントロールする)というのは、それなりに難しいことです。


そして、周りの人を巻き込む(コントロールする)のが上手いのが、ある種の人格障害の特性でもあります。周りの人を巻き込む(コントロールする)のが上手い、相手の心理に上手く依存する事は、生きていく長所・メリットでもありますが、デメリットも当然持ち合わせています。(相手をコントロールすることは、相手の気持ちを、何らかの手段を使い支配している状態であり、依存関係を作る事もとても上手いのです。)


例えば、発達障害の人は、相手の心理に対し、共感や理解が乏しい為に、一方的な見解で決め付け、ミスをしてしまったり、相手を傷つける言葉を発することがあります。(この時点で不利な特性だと解ります。) ですが、相手の心に、何かしらコントロールする様な言葉を残す事はしません(残せません)。コミュ能力低い人が多いのです。


ですが、ある種の人格障害の人は、相手に同情を引く、もしくは被害者的な言動を発しつつ、 尚且つ、相手の心に何かしらの引っ掛かりを作る言動(相手に何かしらの心理的依存を作るきっかけが上手い)を、更に追加して、相手の心をコントロールしてゆきます。 人格障害者のコントロール手法(ある意味、コミュ能力が高い)は、本当にすごいです。



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人格障害の人が、発達障害ADHDアスペルガー)になりたがることについて、

今まで、個人的にいつも感じてた事がやっと、専門の先生から理論的な文章で、一般的に日の目を見る時期に来た事に、ほっとしています。(加藤進昌先生)

少しでも良くしたいと本当に思うのなら、その人特性に合った対応が必要です。そのためには、やはりきちんとした診たて、診断は大事です。


少しでも良くしたいと、本当に思うのなら・・です。
現実逃避の為の診断では良くなりません。



人格障害の人は、対人面やコミニュケーション能力において、発達障害者より、健常者に近いのです。だから社会の中での自分を見出そうとします。


発達障害の特性は、そんなに社会で自分を見出そうと頑張ろうとしないというか、確かに褒められたり、認められたりは嬉しいでしょうが、【人格障害の人程、他者の存在を意識しない】感じです。


発達障害当事者なら、発達障害の特性を生まれつき持ち生きている中で、本人なりに、周りに対する諦めと妥協とスルーを身に付ける。 発達障害の特性の対人関係の希薄さを、社会の中で生きるメリットに代えます。


だから、発達障害者にはオタクと言われる人が多いのかもしれません。発達障害者自身が興味持った分野で、たまたま成功したりして、社会に認められたりはしますが、あくまでも「自分が興味持った経緯での結果」です。【人格障害の方のように他者への承認欲求があまりない】、そんな感じがします。


そんな感じなので、自ら積極的に診断を欲しがったり、自ら積極的に周囲に理解や配慮を求めたがる行為は、純粋な発達障害を知っている人から見ると、発達障害らしくない、本当に発達障害ですか?と疑問を感じずにいられなかったりします。


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そして、これまた事が複雑になるのですが、幼児期や学童期から、第三者から発達障害または、精神的に変わり者??で、見られ、育ってきた、当事者程、「自分は発達障害じゃない!!」と思いたいようです。

なぜなら、第三者から発達障害でないか??と、疑われ、見られ、育ってきた、当事者程、「身障扱い(差別的な扱い)」された事に、心の中で、とても傷ついているからです。

だから、本当の発達障害当事者の中には、「自分はただ性格が悪いだけなんだ。」的な?人格障害と診断された方がまだマシで、本当は発達障害を持っているのに、「自分は障碍者ではない、ただ性格が悪いだけ、天邪鬼なんだ」と人格障害と診断された方が、心が救われる人も居るのではないか?と思う事さえあります

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息子も、発達障害を持っているのに、「自分は障碍者ではない、ただ性格が悪いだけ、天邪鬼なんだ」と人格障害と診断された方が、心が救われる方のタイプだと思います。

人格障害の人というのは、主に家庭内の問題や育て方が本人に影響を与え、対人関係への悪影響や、本人の人格が阻害されていく事が多いですが

発達障害は、家庭内の無理解だけでなく、本人の発達障害の特性による、社会性の乏しさに加え、その人を取り巻く社会も無理解なので、幼児期や学童期の集団生活の中での、本人への周りの関わり方が、本人へ与える影響も非常に大きく、

何かしら傷(トラウマ)を持っている発達障害当事者は、障害受容も複雑になっていく気がします。


発達障害の本人にとって、この発達障害の特性は、生まれつき本人の素のままのものであって、本人にとっては、発達障害の特性とか、健常者の境目なんて、わからないのです。(メタ認知(客観的に把握し認識する力)が弱いという特性も影響) 

生まれつきのこの発達障害の特性が、本人なのだから。

その本人の生まれつき持っているものを、発達障害の特性であると言われる事は(診断される事は)、本人にとっては、生まれつきのこの自分自身は、何か欠けている人間だと、言われたる事であり、劣等感を感じる人程、これ以上傷つく言葉は無い訳です。


例えば、お姑さんに散々、子供が授からない事への嫌味を言われてきた女性が、子供が産めない体質だという事を現実に知る時、 女性は子供を産める唯一の特性を、自分自身は持ち合わせていないと知った時、その事実を受け入れるのは、非常に辛いと思います。そういった心情にも似ています。

生まれつき足が不自由な人を、なんで不自由なんだ!!と散々責めたら、虐待や人権侵害であるのはすぐに解りますが、眼に見えにくい事、個人の脳内の認知的機能については、とても解りにくい。しかもその個人の脳内の認知的な部分が個性的だからこそ、本人が自分の特性をどうの受けとめるのか?も、個性があると感じます。

散々非難されてきた事が、自分にとって欠けていた部分でどうにも出来ないと知った時、自分が生まれてきた事への何かしらのとてもマイナスな感情が湧き出るのは当然ではないかと思います。


だから、自分から進んで、積極的に、発達障害(ASやADHD、LD、PDD)の診断が欲しいと思う心理が、なかなか理解出来ない分、人格障害の特性の可能性を感じます。


また、純粋に発達障害発達障害(AS、ADHD、LD、PDD)だけを持っている人は、まず、余程の事がない限り、自分から進んで、私は発達障害(ASやADHD、LD、PDD)を持っていると、職場や友達に言う人はいません。(そういった事を言うのがとても苦手なのです)

何らかの事情があり、どうしても職場に伝える必要がある以外は、自分から口外しないというのは、何も発達障害に関してだけではありません。
障害や病気、鬱病等、を持っている事での、健常の方より、特別な配慮や対応をして貰うと言う事は、日本ではまだ馴染みが悪く、新たな差別を生んだり、難しい事でもあるので、通常ならお勧めしない事でもあるのです。

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純粋な発達障害の子達は、自分から、障害特性を話して、助けを求める事は非常に少ないと感じます。

なぜなら、その障害特性があるから、周りから理解されず散々、辛い思い、傷つき、苦しんで来たのですから。。 自分を苦しめたその特性を今更話した所で、助けて貰えるなんて、信じられない・・と、まずは、当事者が感じている事です。

生まれてから、ずっと周りから理解されなかったその特性の部分を多めに見てもらいたい等とは、まずは言えないでしょうし、上手く言えないのも発達障害の特性の一つだと感じます。

発達障害の特性だけを持っている人ほど、それによって付いた傷を身に染みて感じており、自分の傷の元となる発達障害の特性たるものを、そう簡単には認めることも、ある意味難しいと感じます

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私は以前、ある職場で、自ら「私はADHDと診断され・・」と言ってこられた女性に非常に違和感を感じ、その方に対し、ADHDより人格障害がしっくり来ると感じた事があった。

彼女には、今の状況が大変なら、自分の特性をしっかり見てもらい、自分の特性に合った方向性を見つける事を話しましたが、
彼女からは、ADHDの特性の一部の「キレやすい」「忘れっぽい」の特徴を出され、その部分は多めに見てもらいたいと、言われました。


本当の発達障害当事者なら、この自分を散々苦しめた特性を、おおぴらに、多めに見て欲しいと、ましてや、自分から、軽々とは言えないであろうと思います。

人は、長年自分を散々苦しめた事は、自然とトラウマになってしまってますから、自分の心の奥にいつの間にか隠されてます。こんなにも自分から、自分の傷となる要因をひけらかす事は、なかなか出来ない。


彼女からの、ADHDの特性の一部の「キレやすい」「忘れっぽい」の特徴を出され、その部分は多めに見てもらいたいと言う行為は、人格障害の特性である、他人をコントロールしようとする行為と理解した方が、余程しっくりした。

彼女は、自分の言い出した事に、周りが受け入れないと、怒る。これについて、「キレやすい」「こだわり」だと言う。でも、私から見ると、自分の思う通りに周りが動いてくれない事に、いらつき、他人をコントロールしようとする人格障害的な行為にとても近い物を感じた。

また彼女は、自分の母との葛藤も話していたが、障害への無理解というより、やはりAC、機能不全家族による、人格障害形成された彼女という方が私には、理解しやすかった。


発達障害だけの人でしたら、本当に不器用で、他人をコントロールしようとする事すら、出来ない人が多い気がします。
発達障害の人は、人格障害のように、自分の都合の為に、なにかに成りすましたり、説明したりとかが、上手く出来ないと思います。

発達障害の人が、自分の都合の為だけに、何かしようとしたら、もっと多くの周りからバッシング受けるほどのヘタなやり方しか出来ないのでは?と思うくらい、発達障害の方々は、不器用でしかも、心が純粋です。

人格障害のように、他人をコントロールする手法を持ち合わせてません。

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人格障害の方へ感じることは、現実逃避の診断では、その場しのぎになるだけで、結果的には、御本人にとって、本当の意味で良いとは思えないのです

脳は老化します。脳の老化が進むと、心理面の改善も時間が掛かります

気が付いた時期、年齢も若ければ若いほど、早ければ、早いほど、改善出来る可能性があるのに、現実逃避で、良くなる時期をいたずらに引き伸ばすような、過ごし方は、避けるべきだと思います。


ですが、現実逃避したい、自分に都合よく、生きていたいのが、人格障害(特に自己愛人格障害)の状態なので、難しいかもしれません。

本当に、少しでも良くしたいと、思うのならきちんとした診断を受けた方が良いです。


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発達障害の人は、相手の心理に対し、共感や理解が乏しい為に、一方的な見解で決め付け、ミスをしたり、相手を傷つける言動を発することはあります。でも、相手の心をコントロールする様な言動をしません。そういった事が出来ないのです。


ですが、ある種の人格障害の人は、相手に同情を引く、もしくは被害者的な言動を発しつつ、尚且つ、相手の心に何かしらの引っ掛かりを作る言葉(相手の心に何かしらの心理的依存を作るきっかけ)を更に追加して、相手の心をコントロールしてゆきます。


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人格(パーソナリティ)障害の特性と発達障害の違い
(あくまでも個人的に感じたこと)

私が思う、人格(パーソナリティ)障害の人は、人の心を搾取する脳機能の問題もあるだろうし、他には【ミラーニューロンという脳の機能が、他者をコントロールする手法を、身近で学習し獲得出来ていたりする】。そういった部分も、純粋な発達障害の人と違う気がする。


・パーソナリティ障害の特性では、白黒思考/極論思考(物事を決め付けて考える思考)であるがゆえ。相手の思考視野も、物事を決め付けて考える思考だと思い込む

発達障害は、相手の思考視野まで複雑に考えません)


・パーソナリティ障害の特性では、自分の考えが正しいという思いが強すぎて、他者の考えや気持ちを理解する事が難しい。自分と違う考えや、自分の苛立ちや不安を感じさせる考え方に対して、敵意を持ちやすい。

発達障害は、自分の要求は通したがりますが、自分の考えが正しいという思いや要求を他者に上手く言えません)


・パーソナリティ障害の特性では、他者の気持ちへの理解は希薄な分、相手の気持ちを無視し一方的な要求や言葉を投げかける。または被害者を装いながら、相手に罪悪感を植えつけたり、傷つけたりする事が見事、上手い、得意である。

発達障害は、こんな複雑な手法は出来ません)



・パーソナリティ障害の特性では、弱者や被害者は、周囲から助けて貰えるのが当たり前な存在だと思っている


発達障害は、その障害特性を持っている事で、不利な事を多く経験しても、どうして毎回、自分が不利な事をしてしまうのか、よく解っていない事が多い。

そもそも、まず自分のその障害特性の状態把握を上手く出来ない、客観的に見る事が苦手である為、配慮して欲しいとか、理解欲しいと他者に伝えるのがとても苦手である。上手く伝えるのが出来る人もいるかもしれないが、少ないと感じる。

また、人格障害の人のように、相手をコンロールする手法を持ち合わせていないので、周囲から助けて貰えるという他力本願の考えも浮かばない。)


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この記事から2年後、2016/7

「成人 障害 告知」や「会社 障害 告知」で、ネット検索すれば、障害者枠以外で、つまり一般就労では、周囲への障害の告知が、成人での社会生活においてどのように不利であるかの記事が圧倒的に多いのが解ります。 

そして、不利でなかった、つまり一般就労で周囲への障害の告知の成功例の記事がなかなか探せない、非常に少ないのはどうしてでしょうか・・。

発達障害の診断を欲しがり、周囲への障害の告知をしたがる方達のその後の記事がネットで読めないのはどうしてでしょうか。。

積極的に、発達障害の診断を受け、周囲への障害の告知をして来たのですから、その成果を障害を持つ多くの人の希望の行動として、情報を得る事は難しいことなのでしょうか・・・

障害者枠、一般就労どちらでもよいので、周囲への障害の告知をした当事者の記事をもっとたくさん読んでみたいです

ちなみに「会社 障害 告知 成功」で検索した記事の中で、私がやたらADHDの当事者らしいと納得してしまった記事
・自分の障害特性が今だにつかめてない
・安易に、障碍者年金欲しがってるようにみられる様子・・・
こちらの方が当事者らしい・・怠け者ではないのです。
この世の中で、必死に生きる事にある意味諦めているのです。


障碍者年金や、障碍者雇用でなく、ベーシックインカムが採用されると、福祉や教育も大きく変わる気がします。
小子化対策、軽度発達障害の就労問題も含め、ベーシックインカム採用は賛成。



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