ADHD・発達障害と非定型うつ
自分の状態はどうやら、非定型うつだった。
今まで散々、自分のフラッシュバックについて、どうのこうのとあったけど、これも非定型うつの症状で、しかもADHD・発達障害の人の二次障害としても多いらしい。
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私はずっと昔、10代の頃の辛かった時期の記憶は封印していたのだけど(当時は、不登校で鬱状態であり、非定型うつの状態では無かった)
その辛かった時期を少しずづ乗り越えるには、その辛い記憶を徐々に心の中に封印していくことで、乗り越えた気がする。だから、その後30代半ばまで、10代の頃の辛かった時期を思い出さないで済んで来れたのは、そういった状況を思い出さなくて済んだ、人間関係の中に何とか入れたからだと思う。
ある自助グループでその封印を開いてしまう事になり、そこからフラッシュバックが頻繁に強まり、その時期に非定型うつの症状が頻繁に現れ始めた。
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一度、封印が解かれると、後はクセになるようで、その後も似たような状況に出くわすと、非定型うつになりやすいみたいだ。
もちろん心身共に疲れていると余計に非定型うつになりやすいのだけど・・・
私の場合、ある状況でのある人の表情が恐くて、そこから非定型うつが出てきた。
今の自分の状況は、あの時の自助グループのリーダーのあの険しく冷たい表情をまた思い出させる。そして、更に過去の事も次から次からへと思い出すのだ。
非定型うつのフラッシュバックというのは、過去へ過去へと嫌な記憶ばかりが思い出されるので、フラッシュバックを引き起こすような環境にはなるべくおかない方が良いと自分の経験で思う。
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よく、軽がるしく「許せるとラクになる」という人がいるが、「許すこと」は、そう簡単ではない。
そして、「許せるとラクになる」と軽がるしく言う人程、加害者側だったりするから余計に腹が立つのだ。
軽がるしく「許せるとラクになる」と言う人は、辛かった当事者の事を思っての、「許せるとラクになる」ではないのだ。
本当に、本当に、辛い思いを乗り越えて来た人の気持ちがわかる人は、軽がるしく「許せるとラクになる」とは言わない。
過去の辛い事についての記憶を思い出しても、平気になってきた、または辛い事をしてきた相手を思い出しても、だいぶ平気になってきたという心の過程を知っているから、軽がるしく「許せるとラクになる」とは言わないのだ。
「許せるとラクになる」では無いのだ。過去の辛い事についての記憶を思い出しても、平気になってきた、または辛い事をしてきた相手を思い出しても、だいぶ平気になってきた・・という過程になるまで、時間が掛かるのだ。
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そして、過去の辛い事を思い出す度に、だいぶラクになるように出来るには、それなりの心の平安が保てるようになるまで、出来ないのだ。
心の平安がまだまだ出来ない状況で、早々に、または軽々しく「許すこと」を要求してくる人は、相手を更に苦しめていること、相手の状況を更に悪化させいる事に全く気が付いていない。
だから加害者だと言いたくなるのだ、偽善・自己中な押し付けだと言いたい。
心の平安は、自分の努力だけでは出来ない事も多い。自分の努力だけでどうにもならないのが、障害を持ってる人の辛い所ではないか・・?
または過酷な状況をなかなか抜け出せない、格差の中にいる弱者でもないのか・・?と思う。
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「許す」とかじゃない。
「許す」を要求してくる人は、「許して貰うこと」で何かしら、その人の肩の荷が降りるから、「許す」を要求してくるんでしょう・・??
「許す」とかじゃない。
辛い事に対して、だいぶ平気に思えるようになってきた。気にしなくなって来た・・という思いだけで、精一杯なのだ。
その気持ちがわからないから、自己中・自己愛の偽善者だと言いたい。
言いたいこともその時には言えなくて、ただその人の険しく冷たい恐い表情や態度に、心がおかしくなっていく自分に対しどうにも出来ない。
その辛い事への抵抗としての唯一の「許さない」という感情くらい心の中だけでも、持たせてあげたら??・・。
心の平安というのは、抑圧の中からは生まれないと思う。
その人の険しい冷たい恐い表情や態度に抑圧された自分の気持ちを、どこかで主張くらいしたっていいじゃないか・・???と思う、
心の平安というのは、その人が自分の感情を素直に出せる状況でいられない限り、心の平安は来ないのではないか・・?
いつまでも、いつまでも、抑圧された気持ちに対し、更に「許せ」と抑圧の蓋で閉じても、その蓋が外れた時、抑圧した分だけ、大きな反発が出てくると思う。
偽善・自己中・自己愛のモラハラの人にはわからない心理だと思う。
だから、偽善・自己中・自己愛のモラハラの人は、これからも非定型うつになる人を、どんどん生産していくんだと思う。
偽善・自己中・自己愛のモラハラの人は、非定型うつの人の天敵なんだ。
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自分の鬱対策は、ウォーキングだった。鬱に対しての薬は殆ど使った事無い。
不眠症に対しても、カモミールのハーブティや、依存の少ない漢方薬などを利用した。
軽々しく「許すとラクになる」と言って来た人は、同時に鬱への薬も勧めていた。鬱病の薬も依存傾向を強まらせる可能性もあるのに、軽々しい事を言う人は、本当に何でも軽々しく、相手を結局追い込む事を平気で言ってくる。
鬱には脳内の神経伝達物質セロトニン等とか関係あるらしいけど、鬱の薬よりも、ウォーキング方が効果があった。
気分への変化として、セロトニン等とかよりも、日中歩くことと、呼吸が鬱に影響あるような気がする。
ウォーキングは、夜歩くより、日中歩く方が気分がよくなる。また呼吸が上がるくらいの方が、更に気分がよくなる。
呼吸が上がるくらいの方が、更に気分がよくなるというのは、ランニング・ハイを思えば理解しやすいと思う。
つまりは、ランニング・ハイ近い有酸素をすると、気分が高揚してきて、鬱気分が少なくなると自分は感じる。
↓抗鬱剤に対しては、副作用がある割には、効果無いという研究結果もあります・・。気休め程度・プラセボ効果程度だそうです。
だから気安く薬を勧める人は、今までずっと不信感だった。
http://mui-therapy.org/newfinding/depressing-news-about-ssri.html
「殆どの人では薬は必要ないのです。砂糖の錠剤でも医師との会話でも薬を飲んだときと同じ位効果を上げる。重要なことは治すために何かをしていると言うことです。しかし重度の患者では話が違う。重度の鬱状態では偽薬も効果が無いほど落ち込んでいるのですね」とバンダービルト大学のホロンは言う。論文を共に書いたロバート・デルビーズも何故偽薬が重度鬱病に効果が無いかは不可解と言う。
このような記事を書くと患者は顔をしかめて、「どうしてセロトニンのレベルを高める抗鬱剤が脳にさっぱり作用しないのか」と質問してくる。確かにセロトニンのレベルを上げるとシナプスでのケミカルバランスが回復して鬱状態を改善すると言っているが、この理論の根拠は十分と言えない。
セロトニン理論の始まりは、1950年代にひょんな事からイプロナイアジッドと呼ばれる薬が鬱状態を改善する効果があると発見されたことに始まる。イプロナイアジッドは脳内のセロトニンとノルエピネフィリンのレベルを上げるから、神経伝達物質のレベルが低い状態が鬱状態を引き起こすであろうと言われるようになった。以来50年経つが、これが抗鬱剤の基本理論になっている。
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ただし鬱とは別に、ADHDという発達障害に効果のある薬(メチルフェニデート)は、プラセボなんかじゃなく、本当にある一部のADHDの人には効く薬だと思う。
小学校の低学年の、人の指示を一切聞かない多動児達が、メチルフェニデートの為に、プラセボの思い込みの為だけに、いきなり勉強に集中したり、じっと座ったり出来るようになるのは、プラセボでは無いと思う。人の指示を一切聞かない多動児達が、そんなことわざわざするとは思えない。
鬱よりも、研究が浅いADHDの処方薬の方が、余程効果が高く出ているというのは、ADHDがれっきとした医療対象の脳の障害だという証拠ではないか・・と思う。
いい加減、ADHDに対し、そんな障害は無いとか、精神論的に理解するのはやめて欲しいと思う
軽々しい事を言う人は、「悪気は無かった」という言い訳をいつも持ちながら、軽々しく多くの人を傷つけ、誤った認識を広げて行っている。