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独断とへりくつblog

人を傷つけずにはいられない、自己中・自己愛性人格への対処

親の愛情とは・・・

私は、AC(アダルトチルドレン)だと自覚しているのだけど・・・、親の愛情ってどういうものか全然解っていなかった。

私は、いつも何かにのめり込みこんでいないと、また夢中になる物が無いと、生きている実感が無かった。だから子供の事で、色々と大変で辛い事も多かったけど、子供に夢中になる事は、自分自身の抱えているACの特性(それぞれの個人のACの特性や、のめり込みや、依存する対象や、精神的な弱さや強さ、もちろん性格や個性も違うので、ACの特性も違うのだけど・・)

私の場合では、夢中になる物が無いと、生きている実感が無いという特性に、発達障害を持っている息子の子育ては、ある意味上手くはまっていたのかもしれない・・。

そして子育てから少し手が離れた今の私は、仕事依存になっている。独身時代の私は、仕事依存と遊び依存だった。

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ある人に出会って、そしてある人の見守る暖かさを実感した時に、親の愛情ってこういう物なのかな・・?というのを思った。

私は、その人を想うと心の中がぽっと暖かくなるのだけど、これってよく「親を思い出しながら頑張った」という人の気持ちに似ているのかな・・って・・・


私が親を思い出すときは、いつも嫌な思いばかりだったから、こういう事が言える人の気持ちがよくわからなかった。

私が親を思い出す時は、子供の頃なら「昨日また夫婦喧嘩がひどくて嫌だった・・」とか「今日の朝のお母さんは機嫌が悪くて、私も朝から嫌な思いをした」とか、他にも色々とあるけど、親を思い出す時って、いつも嫌な感情しか想い出せなかった。

子供というのは、両親が仲悪いだけで、自分の存在を否定されると感じるし、またその親が自分に対し訳も無く、また意味も無く、不機嫌でぞんざいであれば、更に、自分の存在を否定されると感じる・・・

そして、「妊娠しなければ、産まなければ、良かった」つまり、長女のお前が産まれて来なければ、お母さんは、こんな人と結婚生活をしなくて済んだのに・・・という、母の自分勝手な思いをぶつけられる事で、更に私の存在を否定されると感じた。


だから、子供の頃の私は親と居るだけで、自分の存在を否定する感情を感じる事が常にあった・・・

だから、勉強や仕事で、確実な成果の出せる事に夢中になる事で、自分の心の中の肯定感情をなるべく持って居たかったし、遊んで、やたらとハイになる事で、気持ちを切り替えていたというか・・・

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私は、子供が少しでも社会で上手くやっていけるように、ある意味厳しくもしてきたけど、息子はきっと私を思い出す時に、厳しい母親の印象しか思い出せないかもしれない。

息子が小さい時は、抱っこもしたし、あやしたりして、息子の笑顔がたくさん出るように、たくさん遊んだり、関わったりしたけど、でも厳しい関わりの時もたくさんあった。思春期以降は、息子も反抗期で、私もそれに対し、厳しいだけの親だったのかもしれない。

「親を想うと心の中がぽっと暖かくなる・・」ような親にならないと・・と思った・・・